リウマチとの暮らしのあれこれ

関節リウマチのこと、日々のいろいろ。アフィリエイト広告利用中です。

お弁当の思い出

今週のお題「お弁当」です。

中学、高校とお弁当でした。

母が作ってくれました。

6年間、毎日のお弁当。

自分が結婚した今、

毎朝お弁当を作るということが

どれだけ大変なことだっただろうと思います。

子供がいないので、お弁当を作るのはマレです。

だから、今毎日お弁当を作っている皆さんには、

もう本当に尊敬しかありません。

 

こんな私のお弁当の思い出。

父と母方の祖母のものになります。

基本給食だった小学生のときです。

母が入院していた時期があり、

祖母が応援に来てくれていました。

その時に遠足があったのです。

お弁当が必要な年に何回もない日でした。

祖母が作ってくれようとしたと思います。

でも、父が父親としては頑張りたかったようでした。

どんなお弁当がいいか、と聞かれたので、

おにぎりが入っていて、焼いたソーセージがいい、と

リクエストしました。

 

その日の朝、父と祖母が台所にいました。

お腹を壊したらイケナイ、と父がよく焼いたソーセージ。

祖母が焼き過ぎだと心配していました。

お昼にふたを開けると、ざっくりと貫通した切り込みがある

焦げぎみのソーセージが数本入っていました。

朝のやりとりを思い出すと納得の姿。

そして、ふしぎな形のおにぎりがありました。

母は俵型のおにぎりを作ります。

正確な形の描写を求められ、

丸いけれどまん丸でなく、

ちょっと横長のおにぎりと言ったと思います。

祖母がなんだか妙な顔をしていた朝の台所。

細長くて、海苔も巻けなくて短冊状に切った海苔が

その長い方向に沿うように

数枚貼り付けた感じになっていました。

 

あえてたとえると、折り紙のぼんぼりを連想しました。

今もそう思い出します。

折り紙を長方形になる方向に半分に折り、

その輪の方から半分ほどハサミを入れ、

それを開いてくるりと筒状に巻くとできるぼんぼり。

これ以上の描写はむりなので、

想像してもらえるとうれしいです。

 

心配性の父のたった一度のお弁当。

見た目はたしかにイマイチだったかもしれませんが、

祖母と一緒に詰めてくれたお弁当は

思い出すと笑ってしまうところもありますが、

今となっては大事な思い出です。

 

近況報告的に

なかなか更新が進みません。

私なりの気合をもって始めたブログだったのですが、

いろいろなことが絡まって

集中して文章に向き合う時間を持てません。

 

私自身も少し鬱々として過ごしています。

父のこと、調子がおかしくて困ったさんになった母のこと。

義兄の病気、ホームにいる義母。

まだ健康とはいえない夫と、同じく持病が騒がしい自分。

 

気になることが満載で、ゆったりとのんびりと

自分の時間をただ静かに味わうことはできていません。

 

最近気が付いたのは、自分も父の死の悲しみを

きちんと見つめられていないということです。

母を支える必要があって、

そちらがなかなかの精神的な負荷になっています。

しみじみと悲しみや喪失感を抱くことができていません。

これまで何度も身内や知人の死を経験しました。

その時と比べると父への悲しみがあまりにも薄いのです。

薄いというか、フタをしているようにどこか他所にあるのです。

父の亡くなった日は、帰宅した夫がおどろくほど瞼を腫らしていました。

泣けて泣けて、どうにもならなくて。

でも、その後はなんだかおかしいのです。

 

ようやくいろいろな手続きが終わってきました。

先日の年金事務所の届け出が母には重くて、

それが終わって気持ちが楽になったようです。

また、すごく久しぶりに九州に住む友人が来てくれて、

私もそこに合流して3人で数時間を楽しく過ごしました。

それがとてもよかったらしく、

その日を境に少し体調がよくなったといいます。

 

このまま母の体調も回復していくのかというと、

そこはまだわからないままです。

やっと母が記憶の問題について受診することを納得しました。

精神科や心療内科を受診するには抵抗があったようですが、

まずは脳神経内科外科に行く提案が効果がありました。

それは私の精神科の医師のアドバイスがあったからでした。

まずは脳の状態を検査してもらうのがいいでしょう、と。

そうであれば、父のかかっていた病院に行けばよいので、

母としても非常に気持ちが楽になったようです。

必要があればそこから紹介されて病院に行くこともあるでしょう。

全ての事情を知る先生に診てもらえるので、

その面からも安心です。

 

母自身、少し自分の状態に不安を覚えたようです。

なんだかんだと理由をつけては嫌がっていましたが、

ようやくどういう状態にあるのか知りたいと思ったようです。

つまり、何かがおかしいのかもしれないと

本人も少し不安になってきているようです。

単なる疲労だと言ってきたけれど、

本当にそうなのかという不安が出てきたようです。

 

ただ、最近会ったときの母の様子は少し改善していて、

少しふっくらとした顔になっていましたし、

表情も幾分和らいでいたと感じました。

記憶の維持についても、ほんの少し。

でも、心配な状態はまだ続いているので、

やはり来月の診察の予定は変えないつもりです。

私も同行して話をしてこないといけないと思っています。

何事もないとしても、その説明を直接聞きたいので。

 

関節リウマチのこと、レビー小体病のこと、

近しい人を亡くした家族のケアのこと。

いろいろと知りたいことが増えています。

レビー小体病については、

事後になり残念ですが分かったことがあります。

もしかしたら父の病気に早く気づけたのでは、と思うのです。

ですので、たったひとりの患者の話にはなりますが、

レビー小体病という

まだあまり知られていないかもしれない病気についても

ここに時々書いていきたいと思っています。

 

出来るだけブログも頑張って書きたいと思います。

とりあえず納骨を終えたら、

母も私もさらに落ち着くのではと思っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どう暮らしていればいいのだろう

関節リウマチと診断されてもうすぐ4年になります。

治療開始直後は痛くて何もしたくないくらいで、

それが落ち着いてからも、少し家事をすると痛くなったり、

あるいは腫れたり、倦怠感が出たりでした。

その状態は今もあまり変わっていません。

薬を増やすと楽になるのでしょうか。

でも、主治医は今の量でよいとの判断です。

免疫を弱めるような薬ですから、

私も増やしたくないという気分でいます。

 

これまでは体調第一で過ごしていました。

でも、それではなかなか片付かないことが多いです。

実際、家の中はあまりお見せできるような状態ではないです。

 

そんなことにも嫌気がさして、

いつまでも家事の量をセーブして暮らすことも、

そのためになんだか晴れ晴れとしない気分でいることも、

どうにか変えられないだろうかと思いました。

 

とりあえず、いろいろと再開してみました。

とはいえ、以前ほどはやはり動けません。

それでも、少しずつ増やしていけないだろうか、と

自分の現状を確かめようと思いました。

父を亡くした悲しみを忘れたいという気持ちも、

この少し無謀な行動の裏にあったかもしれません。

 

私の中に消えない自分の不甲斐なさがあります。

同じ病気で体調の優れない状態で仕事をしている人々がいること。

薬の単位も少ない方だと思うし、

そんな中で少しの家事でへこたれている自分。

誰かと比較することは害しかないのに、

ついついそんな風に考えては

役に立てない自分を恥ずかしいと思う部分もあるのです。

だから、試してみたかったのだと思います。

 

ものを持てるか、持ち上げられるか、

普通に調理作業ができるか、掃除できるか。

以前のように文具を使えるか、

などなどなどなど。

 

そして元気だったころとは比べ物にならなくても

今の自分なりに頑張った結果はというと、

手の痛さと表現できない手の気持ち悪さと、

そこから広がっているような倦怠感、

動き回ることから足裏の痛み、と

想像できるものが出揃いました。

もちろん、今の痛みは軽い程度です。

でもこれをしばらく続けていくと、

多分かなり困ったことになるだろうと思われます。

 

今こうしてPCで文章を書いていますが、

きっとこれもあとで指関節への衝撃として

痛みをもたらすと思います。

 

血液検査の数値としては、

炎症は随分と落ち着いてきています。

一時は薬を減らすかどうか、という話も出ました。

でも数値と実際の体感が必ずしも一致しないのです。

 

どこまでを良しとするか、

どの程度なら耐えられるのか、

どれくらいなら長い目でみて影響が出ないのか。

基準の置き方で判断も変わりそうです。

 

できない尽くしにしてしまわないように、

前向きな気持ちを持てるように、と

今年は少し積極的に暮らせる道を探したいです。

関節リウマチの寛解というのは、

多分かなり遠い目標なのでしょう。

とりあえず、自分が自分で満足できる強度の

家事や日常の様々な作業を継続できるように、

というのを目標にします。

 

 

 

 

 

 

梅のころになっていました

久しぶりの更新になります。

新年のごあいさつをと思っていたのですが、

いろいろあって1月も過ぎてしまっていました。

 

ずっと父が入院していましたが、

そのこともあって母が情緒不安定になっていました。

疲労と心労からもの覚えも著しく悪くなり、

昨年の年末年始は私の実家に行くことにしました。

その後も父の容体があまりよくない、ということで

平日に急いで私のみで訪ねたり、

また義兄の用事で夫の実家にも行ったりしました。

その翌週、父が他界しました。

具合が悪いという連絡があり、母が病院に駆けつけ、

私にそのことを電話してくれていた5分ほどの間に

ひとりで旅立ってしまいました。

 

葬儀などでまたいそがしい週を過ごしての後、

やっと少し私も体力と気力に余裕が出てきました。

 

父が患ったのはレビー小体病でした。

何度かここにも書いたことではあるのですが、

現段階ではあまり知られていない病なのではないかと思います。

個人差も大きくて、身体への影響もそれぞれのようです。

このブログは私の関節リウマチに関わることを中心にと始めましたが、

レビー小体病患者となった父のことを、

今後少しだけこちらに書いていこうと思います。

 

定期的に更新ができるかは、まだ少し自信がありません。

でも、また書くことを再開していきますので

よろしくおねがいします。

 

 

お餅にまつわる思い出など

今週のお題「餅」

 

最近更新できないことが多くて、

自分でもなんだか残念でなりません。

気力がないというか、手のコンディションに負けているというか。

書きたいことはいくつもあるので、

じっくりと書いていきたいと思います。

 

久々に今週のお題

大好物のお餅がテーマなので書いてみます。

 

やはりお餅というとお正月の印象はありますね。

鏡餅、お雑煮、鏡開き。

でも、案外通年で食べていたりします。

具沢山の汁ものを夕食に多めに作り、

翌日の昼食にお雑煮のように食べるのが好きです。

ただ、これを続けると太るという問題があり、

食べ過ぎは用心しないといけません。

 

子供のころ、年末になるとスーパーの一角にできるのが

餅つきの実演と販売のコーナーでした。

威勢の良い声で杵つき餅を作って見せてくれていました。

それを見るのもも楽しみでしたし、

その場で丸めた出来立てあんころ餅を

その日に柔らかくておいしいなと思いながら味わうのが定番でした。

つきたてに勝るものなし、ですね。

ご近所で集まって餅つきをすることもありましたし、

小中学校のころは親も参加してみんなで餅つきをしたこともありました。

 

つきたてが周りに当然にあった年末も、

いつの間にかパック詰めのお餅の時代になっていました。

パックのお餅も早焼きの商品が多くなり、

正直言うと味が薄くなって残念に思っていました。

でもここで暮らすようになって見つけた

田舎餅とか農協のお餅というキーワードの名前のものは、

実に好みの濃いお餅でおいしいと感じます。

できるだけそんな名前のお餅を探して買っています。

 

私は今、東日本に住んでいます。静岡県です。

私の育ったのは九州なので、丸餅が主流でした。

東では切り餅優勢で、少々残念に思っています。

不思議なもので、どうしても丸餅とまでは言いませんが、

やはり愛着があるというか、違和感がないのは丸いお餅です。

逆に東京育ちの母は、長く九州で切り餅を恋しがっていました。

食べなれたものというのは、そういうものなのでしょうね。

 

私は自分の家族の中でもかなりお餅好きな方です。

それを少しうれしく思うのは、

私の父方の祖父がお餅大好きな人だったからでしょう。

いろいろな食べ方がありますが、

祖父が好んだ砂糖醤油で食べることが多いです。

おじいちゃんの思い出も一緒にお餅があります。

 

これから年末にかけて、お餅がたくさん並びます。

どれにするか迷いつつ選ぶのも、楽しいものです。

 

レビー小体病の話を少し

父が5月から入院していますが、

残念ながらあまり状況が良くないことになってきました。

母は年内もつかな、などと言い始めています。

それは誰にもわからないことで。

 

お年寄りの食事事情はとても繊細だそうです。

父は経鼻栄養の段階です。

胃ろうの手術をする前に体調が不安定になり、

そのまま保留になっています。

食事の量が多すぎると体の負担になり、

また足りなければやせ細るということになり、

病院の皆さんが注意して調整してくれています。

先生はあまり不安なことは言わないのですが、

熱が出たり、血中酸素濃度が揺らぐので、

レビー小体病がゆるりゆるりと進み続けているのは確かです。

 

どんどん瘦せているので、見るのが辛いところもあります。

本当は食事量を増やしてほしいところですが、

前述の通りでそう簡単なことではないので

こちらは見守ることしかできません。

 

病気の特徴として、いろいろな機能が段々と落ちていくのですが、

父の場合は身体機能が先でした。

記憶力や認知力は比較的よかったのですが、

それもゆるりと低下し始めているそうです。

日によっても体調にむらがあるので、

別の日には少し調子よさげにも見えたりします。

特に母は一喜一憂させられています。

 

見守る家族もなかなか大変ではありますが、

あまり辛い思いをしないで過ごしてほしいと願うばかりです。

 

 

「あぁ、これがリウマチね」と思った朝

両親の結婚記念日が近い。

正直、今年の記念日が二人がそろっている最後かもしれない。

母もいろいろと楽し気に記念日の日の計画を話してくるが、

どこかに悲しさがいつも潜んでいる。

外出もできず、食事も自力でとる許可はなく(嚥下できない)、

当然ケーキなどを食べることもできない。

そんな父と記念の写真を撮るのだと、

記念のイヤープレートを買ったり、

花を持っていくのをどれにしよう、とか

母が少し楽しそうに話してみせる。

その記念写真の日に父にも見てもらおうと思って

大きめのカードを買ってきてカラー筆ペンで文字や絵を描いた。

筆ペンを使ったら筆圧はあまりかけないで描ける。

そう思っての選択だったし、現時点では最善の道具だと思う。

 

ところが、である。

描き上げて、小さい宅急便を作って準備完了してしばらくすると

手が痛くなってくると同時に気分が悪くなってきた。

そして翌朝にあたる今朝、右手の指関節が親指以外全部腫れていた。

幸い、これを入力している午後にはもう痛みはあまりない。

少なくとも文字入力には問題ない。

 

ほんの一枚の少し大きめのお祝いのカードを仕上げただけで、

どうしてこんなにあっさりと手に問題が発生するのだろう。

忌々しい限りである。

そして、当の本人が予見できていなかったわけで、

こんな小さな困りごとがあちこちに散りばめられるのが

関節リウマチを患うということなのだ、ということを

あらためて突き付けられた気分でもあった。

 

そして、このいろいろな困りごとも、

患者さんそれぞれにそのそれぞれの展開があるわけで、

なんとも難解なものであるというしかない。

あ、だから「難」病なのか。