リウマチとの暮らしのあれこれ

関節リウマチのこと、日々のいろいろ。アフィリエイト広告利用中です。

昨年回顧と今年のこと

今週のお題「2024こんな年だった・2025こんな年にしたい」

 

あっという間に過ぎ去った2024年。

そして始まってもう1週間以上になる2025年。

今年こそは心にゆとりを持って過ごしたいと思っていましたが、

なんとなくドタバタと数日が過ぎて行っています。

 

去年を振り返れば、忙しく移動が多い年でした。

一昨年に続いてそのままに継続したような年でした。

義兄の入院に関わる諸々でそちらに、

そして父の入院で自分の実家に、と往復激しかったのですが、

昨年の一月に父が亡くなったことで

今度はそのことでの手続きや不安定な母のサポートで

頻繁に実家に行く必要があった一年でした。

幸いに昨秋に義兄は退院出来て、

そちらの心配はひとつ減りました。

 

正直に言って、とても疲れる一年でした。

休んでいたいという気持ちを無視して動き続け、

その意味で自分にかなり無理を強いたと思います。

もうここから動きたくない、という気持ちを抑えて

年末も実家へ行くことにしました。

 

今年はどんな一年になるのか。

少しは自分のために余裕をもって過ごしたいです。

「ねばならない」を少し減らして

「こうしたい」を実行できるようにしたいです。

 

文具が好きでペンとノートをたくさん集めてしまっています。

使いたくて買うけれど、手書きが辛くて保留という感じです。

できたらいろいろなペンの書き味を楽しみつつ、

自分の手に優しいペンを見つけて相棒にしたいです。

今のところ、ジェットストリームの多色ペンの軸が

丁度持ちやすくてよいと思っています。

持つところはシリコンとかではなくて、

ホコリが付きにくい素材が好きです。

ノートには字も落書きもいろいろ楽しんで、

自分の思考も整理出来たら一石二鳥です。

 

カメラは復活できるかな~、と悩みます。

家で単焦点レンズをひとつ選んで出発して、

途中でレンズ交換はしないという潔さで行ければ、

再開も可能でしょうか。

そしてカメラから冷たさが伝わるので、

季節は春以降に、でしょうか。

 

なんであれ、諦めずに期待をして過ごそうと思います。

さすがに重い鍋は無理と思いますが、

道具や使い方を工夫して、諦めることを減らしたいですね。

流行に乗って、小さいせいろを買いました。

大きなものは母から譲り受けていたのですが、

大きすぎても気軽に使えず、鍋もなくという状態だったので

21cmという気軽な大きさを買いました。

この新しい道具も楽しんでみたいと思います。

結局のところ私は食べ物に関わるものが好きなようです。

何か新しいことをしようと思えるのは、

いい兆候なのだととらえることにします。

 

今年の終わりにどれくらいの満足をここに記せるでしょうか。

今の気持ちを忘れずに行ければと思います。

突発的な事件がなければ、平穏に暮らせる予定です。

 

関節リウマチの状態はどうなるのか分かりませんが、

多少は症状が和らいだという感覚があるので、

このまま少しよい状態を維持出来たらうれしいです。

ただ、年末年始に少し家事をしても平気だったので

こちらに戻ってからもあれこれと作業をしたわけですが、

家事強度が違うというのでしょうか、

すぐに手の関節に痛みが出てしまったので過信はできません。

引き続き関節リウマチとも話し合いを継続ですね。

結局実態をつかめないというか、

ほどのよいところの見極めは難しいです。

 

もうすぐ一周忌だからというのもあるのか、

なんともいえない寂しさを感じている最近です。

去年の今頃は、まだ病院に訪ねることは出来ていたので。

 

簡単に文字にするならば、

安らいだ日々を自分のペースで楽しみたい、というのが

今年の願いです。

このブログももっといろいろと投稿していきたいです。

 

 

今頃に気づいたこと

持病で通院するようになって10年。

治ることはないというものたちなので、

一生のお付き合いになる病気です。

 

最初は身体症状症で、

通院し始めは布団から起きるのもつらく、

理由もなしにぼろぼろと涙があふれたり、

気持ちが悪くなったり頭痛がひどかったり、

いろいろな体調不良がありました。

そして、少し安定してくると、

今度はエネルギーを消耗しすぎて動けなくなる、という

なんとも面倒なことに悩まされることになりました。

現在は、活動時間を細切れにしつつ休息をいれたり、

夢中になって突っ走ることをやめることで

それなりにコントロールできるようになっています。

また、自覚しつつ疲労する分には問題ないということなので、

どうしても頑張りたいことを疲労と引き換えにと

完了させることもあります。

無自覚に疲労を重ねると本当に消耗するだけですが、

自覚があると自分なりに対策するのでどうにかなっています。

 

そして、その後関節リウマチになりました。

こちらは現実に関節に痛みを伴うので無理は出来ません。

また痛みは倦怠感を伴うことが多いので、

そうそう無茶は出来ないということになっています。

痛みを怖がってばかりいると、

したいことができないという不満がたまります。

痛みがでることと満足感を得ることとバランスをとって、

無茶はしないことを目標に過ごそうとしています。

そうはいってもこちらは少々付き合い方が難しく、

まだまだ丁度良い加減を見つけられていません。

 

身体症状症というのはあまり聞いたことがないかもしれません。

患者数は多いといいますが、私も知りませんでした。

簡単に言うとストレスがかかると体調が悪くなるのです。

でもいくら検査しても病気は見つからないのです。

精神的なことが身体的な症状を発生させるだけなので、

本当に治療が必要な身体的な病気はないということになります。

 

この病気を知りたくて調べていた時に、

適応障害と比較した説明がありました。

適応障害の場合は、とある状況下でのみ症状が出るそうです。

身体症状症は、ストレスを感じるとそれは何であれトリガーになります。

こんな状況で体調が悪くなる、という分かりやすい説明ができません。

あえていうと、不快な状態が続いていると体調不良が出るのです。

私の場合は頭痛や吐き気、めまい、胸の痛みが多いですが、

脚がしびれたり、ふるえたり、いろいろと種類はあります。

ストレスへの対応を学びつつ、

あまりひどい体調不良を出さないように

自分で気を付けて対策できることは対策する、という感じです。

 

こんな感じなので、約10年の間は静かに消耗しないように、

また体を酷使しないようにと過ごしてきました。

そんな日々にも嫌気がさしていたのです。

少々の不具合はもう諦めて、したいことを優先しよう、と

今まで控えていた家事作業を再開しました。

つまり、数年の家のごちゃごちゃを片付け始めました。

部屋を片付けようと試みては、疲れ果てて停滞していたのです。

それを繰り返した結果、片付かない部屋が出現していました。

今は多少体調もよいのかもしれません。

なんだかんだと言っても、少し無理をしてもなんとなかなります。

ここで少し頑張ると、家の空気も変わる気がします。

以前のように花の寄せ植えを、とか望み過ぎてもいけませんが、

とりあえずは部屋を一つ一つ元の状態に戻したいです。

 

関節リウマチ対策で、いろいろと道具も増やしました。

少しずつ関節に優しい暮らしをすることも可能になってきたようです。

主に調理器具ですが、指に負担を強いないようにしています。

 

最近は発病前の10年前の自分と比べては嘆いていました。

思うように何も頑張れない日々の後、

少し気合を入れて行動し始めたものの、

どうやっても以前の自分のパワーには及ばない。

病気が忌々しいと思っていました。

でも、やっと基本的なことに気づいたのです。

10年たって、あちこち衰えても不思議ないです。

加えて、静かに体調を崩さないように用心していたのですから、

体力も筋力も減ってしまっていて当然です。

長い柄の箒で落ち葉を掃除していてもわかるのです。

箒の勢いにそれをコントロールする自分の体幹が負けそうです。

 

まずは、普通の家事を普通に実行できるたように

体力と筋力が必要そうです。

10年分を少し諦めて受け入れたら、

気持ちが少し楽になりました。

別に10年を無駄にしたわけでもないし、

10年で病気との付き合いを少しは学んで、

何かをしようと思える程度には元気が出てきたのでしょう。

とりあえずはそう考えて、少し前向きに行こうと思いました。

 

 

文化の違いの手土産

今週のお題「手土産」

 

古い話になります。

ドイツに短期間いたことがあり、そのころの思い出です。

 

知り合った人をお招きしたことがありました。

毎回、お客さんは手土産を持ってきてくれました。

それが日本とはちょっとちがうのです。

父に、母に、私に、と小さいものを3つ、

必ず家族全員に手渡せるように用意してくれていました。

 

軽いお茶ならお菓子を3つとか、

お食事にお招きすると、父にワインなどボトルを一本、

母に花束、私には何か違うものを、と。

 

必ずしも高価なものではなくて、

ただ全員が何かを受け取れるという感じでした。

それがなんだかとても嬉しかったのを覚えています。

 

結局、それが嬉しすぎたのか、今でも真似しています。

日本でそれをしても、喜んでくれる人が多いです。

何か一つにするとしたら、みんなで必ず分けられるものを、と

考えるようになっています。

さすがに花束は持って行ったことはありませんが。

今週のお題「秋の味覚」

 

秋らしくなってきましたね。

車で走っていると、道路脇に栗が落ちていることがあります。

この時期ならではの様子でもあり、

時々その栗を拾いに来ている人も見受けられます。

 

関節リウマチになって以来、

生の栗を買うことはなくなっていました。

あの栗の固い鬼皮をむけるとは思えなかったのです。

栗は好きだけれど、諦めていたという感じです。

 

それが先日、お裾分けで栗をもらいました。

もらってしまったよ、どうしよう!と思いました。

嬉しい半分、困惑半分でした。

栗むき用の道具を出して挑戦しましたが、

やはり今の私の手にはあまる固さでした。

そこで夫にその作業を頼むことにして、

私は渋皮を包丁でとる方に専念。

なんとか食べられる状態にして、

すごく久しぶりの栗ご飯を炊きました。

レシピを調べると塩だけで作ると

シンプルで美味しいということでしたので、

手持ちの塩の中でもおいしそうな塩を使ってみました。

 

ホカホカの栗ご飯。

香る栗。ほのかな甘い栗。

これぞ秋の味覚という感じでした。

苦労のあとのご褒美という感じでした。

 

タケノコや栗といった季節のものは、

やはり格別と思います。

思いがけずもらった栗。

少し焦りましたが、感謝です。

 

夢というか目標というか期待というか

今週のお題「ちょっとした夢」

 

とても久しぶりの投稿になってしまいました。

猛暑が続いて体力を削がれた気がした夏でした。

いろいろなことの疲れが出てきたようでもありました。

あれこれと思い描くことはあれど、

なんともいえない体の重さに負けることが多かったです。

 

さて、少しだけ元気を取り戻してきたのですが、

ほどよいペースでまた進んでいきたいと思っています。

このブログはなんとも途切れ途切れでしたが、

本来の目的に沿って歩みを進めたいと考えていました。

そして、このブログがなんとなく病気をテーマにしているので、

父が罹って頑張って過ごした日々のことを思い出しつつ、

まだあまり知られていないレビー小体病のことや、

同じくまだ多くの人には知られていない病気で

義兄が頑張って回復途上の

ギラン・バレー症候群という病気のことも、

私が病院で聞いた説明などをもとに書いてみたいと

計画しています。

 

知っておくことはその病気に気づくためには

とても大切なのだと感じました。

知れば、対応もわかってきたりします。

知れば、早めに病院に行かないといけない、と

自分で判断することもできるかもしれません。

そして、それは重症化や命の危険を回避することに

つながっていくかもしれません。

 

私は今は関節リウマチで思うように過ごせていません。

痛みがあることで有名な病気ですが、

全身に関節リウマチというのは影響を出します。

たとえば倦怠感という面倒なものがあります。

単なる疲労とかではなく、ぐうたらなわけでもなく、

朝起き上がれなかったり、すぐに疲れたりします。

いろいろな便利グッズを探したりして、

症状の出がちな関節に優しく暮らせるようにと

小さな工夫を積み重ねています。

 

実は、この関節リウマチのことも、

先に挙げたレビー小体病や

ギランバレー症候群のことも

よく知らないままにずっと過ごしていました。

何も起きなければ、知らないままでも大丈夫です。

でも、なんだか変なんだよね、と思いつつも

それをどうしてかわからないまま生活しているとしたら、

知ることで対策もできるようになるかもしれないわけです。

 

少し大げさではありますが、

今生で私ができそうなことというと、

父が私に子供のことから練習させた

文章を書くということしかないと思いました。

作家でも記者でもなんでもないですが、

せっかく始めたこのブログですから継続します。

誰でも何か発信できる今のこのシステムで、

できそうだと思えることが見つかったのは嬉しいことです。

 

ちょっとした夢。

自分でも何かで誰かの役に立てること。

自分の経験したことを発信することで、

それが意味のある情報になるかもしれないという期待。

だから、毎日とはいかなくても

またペースをあげて書いていきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

食事は大切だと思う

わざわざ大げさに言うことではないのですが、

自分がどんなものを食べるのかというのは

身体の健康にとって重要だと思うのです。

 

リウマチ発症以前は、

ほぼ毎日問題なく食事を作っていました。

もちろん、時々は外に買いに行ったり

または食べに行ったりしていましたが、

それでも自分が体調不良で作れないということは

あまりなかったのでした。

 

私が食事を作れない理由は、

身体に痛みがあるか、とても倦怠感が強いか、です。

関節リウマチのの人には、

「それあるよね」と思ってもらえると思います。

 

それで簡単なものとして低リノール酸食を意識しました。

自分が使う食用オイルや、

お弁当やお惣菜を買う時に意識するというもので、

こちらはあまり大変なことないので実行しやすいです。

その影響は多分ゆっくりと出てくるので、

なかなか明確にはなりませんが、

緩やかに血液検査の炎症などの数値が下がっているのは、

もしかしたらこのお陰かもしれません。

 

そして、ずっと気になり続けている薬膳や

中医(漢方)的食事へのアプローチがあります。

こちらは少し勉強をしないといけないのですが、

なかなか本は手に取れても続けられていません。

ただ数年前からずっと気になっていることであり、

多分とても大事なことだろうと感じています。

 

食品添加物への注意、

地産地消を少し意識して買い物をする、

できるだけ調味料にも気を配る、

このあたりは小さいことですが継続しています。

 

最近、スパイスと塩のブレンドのみのカレーの素を見つけました。

鶏肉と玉ねぎとトマト缶と牛乳という表示通りの材料で

インド風のカレーを作ってみました。

調理時間も煮込まないので早めに仕上がりました。

そして、シンプルな材料で体に負担の少なそうな

美味しいカレーが出来上がりました。

以前レシピ本を見ながらインド風カレーを作った時も

簡単においしくできると驚いたのですが、

本を見て作る元気があまりでなくて忘れていました。

 

スパイスというと漢方薬と通じるものもあるといいます。

おそらく健康的な食事へつながるのではないかと思います。

なんとか今よりも健康的に過ごしたい、というのは

切実な願いなのです。

心身共に、食事から養生できるものはあると思うので、

そう思うのであれば、なんとか頑張りたいものです。

 

頑張れば体調も回復していくのか、

頑張り過ぎてまた振り出しに戻ってしまうのか、

そんな不安は常に付きまといますが、

どこかによい折り合えるところを見つけたいです。

 

 

 

現実を知るのは怖いのかもしれない

5月も半分以上が過ぎてしまいました。

またたく間に時間が飛んでいくような気分です。

今年は私にとっては特にそうなのでしょう。

今日は昨年の今頃も大変だったな、と思い出しました。

義兄の入院と父の入院と、義母のことで

文字通りの東奔西走でした。

 

先月、病院へ行くということになった母の件。

その後華麗なまでに覆されて、宙ぶらりんです。

そのことを話したら、私の精神科の先生は

よくあることだと言っていました。

これを何度も繰り返すか、

はたまたあと一回で終わるかはわからないけれど、

あまり期待過剰で臨まないようにと言われました。

また嫌だと言われるかもね~、という感じですね。

 

逆の立場で考えれば、

もし自分の脳の状態がよくないとわかったらどうしよう、

とすごく不安な面もあるだろうと思います。

私の性格上、気になるといても立ってもいられないので、

すぐに病院に行くという選択をしますが、

母の場合はぎりぎりまで見ないふりをします。

実際、小さいころに私のことでそれがあって、

皮膚科に長く通う羽目になりましたし、

愛犬のしっぽの腫瘍への処置が遅れたのも、

母が見て見ぬふりをしたからでした。

真実を知るのが怖いから、逃げるという癖があります。

愛犬の最後の血液検査の結果を知らせる電話も、

絶対に受けたくない逃げてしまって、

私がその電話に出たことがあります。

父のことからは逃げなかったので、

そこはすごく頑張ったのだと思います。

 

そんな母なので、今は散々先延ばしにした白内障の手術を

今か今かと心待ちにしています。

見えにくさが更に進んでしまい、困っているようです。

これももう何度促しても、先生に言われても、

なんだかんだと理由をつけては嫌がった結果で、

同情の余地なし、という感じです。

 

お盆が終わるころまで待ってみようと思います。

それで、母のコンディションが改善していくならば

さしあたっての心配は消えていくと思えばよいでしょう。

待ってもあまり変化なければ、再度受診を促します。

 

こんな年頃の親を持つ人は、

結構同じような経験をしています、と先生に言われて、

認知症の現実を回避したい人と、

どうにか早く治療して進行を押さえたい人が

世の中にはたくさんいるのだと思いました。

そして、なんだかんだで精神科にかかっている人も。

ちなみに、今回の母とのごたごたしたやりとりで

私はかなり体調に影響が出たのですが

それも先生によるとふつうのことです、と。

むしろ、これまでの私の体調不良の原因の方が

あまりよくあるケースではなかったとか。

どうやら私もやっと普通のことで悩むようになったらしいです。