リウマチとの暮らしのあれこれ

関節リウマチのこと、日々のいろいろ。アフィリエイト広告利用中です。

今週のお題「秋の味覚」

 

秋らしくなってきましたね。

車で走っていると、道路脇に栗が落ちていることがあります。

この時期ならではの様子でもあり、

時々その栗を拾いに来ている人も見受けられます。

 

関節リウマチになって以来、

生の栗を買うことはなくなっていました。

あの栗の固い鬼皮をむけるとは思えなかったのです。

栗は好きだけれど、諦めていたという感じです。

 

それが先日、お裾分けで栗をもらいました。

もらってしまったよ、どうしよう!と思いました。

嬉しい半分、困惑半分でした。

栗むき用の道具を出して挑戦しましたが、

やはり今の私の手にはあまる固さでした。

そこで夫にその作業を頼むことにして、

私は渋皮を包丁でとる方に専念。

なんとか食べられる状態にして、

すごく久しぶりの栗ご飯を炊きました。

レシピを調べると塩だけで作ると

シンプルで美味しいということでしたので、

手持ちの塩の中でもおいしそうな塩を使ってみました。

 

ホカホカの栗ご飯。

香る栗。ほのかな甘い栗。

これぞ秋の味覚という感じでした。

苦労のあとのご褒美という感じでした。

 

タケノコや栗といった季節のものは、

やはり格別と思います。

思いがけずもらった栗。

少し焦りましたが、感謝です。

 

夢というか目標というか期待というか

今週のお題「ちょっとした夢」

 

とても久しぶりの投稿になってしまいました。

猛暑が続いて体力を削がれた気がした夏でした。

いろいろなことの疲れが出てきたようでもありました。

あれこれと思い描くことはあれど、

なんともいえない体の重さに負けることが多かったです。

 

さて、少しだけ元気を取り戻してきたのですが、

ほどよいペースでまた進んでいきたいと思っています。

このブログはなんとも途切れ途切れでしたが、

本来の目的に沿って歩みを進めたいと考えていました。

そして、このブログがなんとなく病気をテーマにしているので、

父が罹って頑張って過ごした日々のことを思い出しつつ、

まだあまり知られていないレビー小体病のことや、

同じくまだ多くの人には知られていない病気で

義兄が頑張って回復途上の

ギラン・バレー症候群という病気のことも、

私が病院で聞いた説明などをもとに書いてみたいと

計画しています。

 

知っておくことはその病気に気づくためには

とても大切なのだと感じました。

知れば、対応もわかってきたりします。

知れば、早めに病院に行かないといけない、と

自分で判断することもできるかもしれません。

そして、それは重症化や命の危険を回避することに

つながっていくかもしれません。

 

私は今は関節リウマチで思うように過ごせていません。

痛みがあることで有名な病気ですが、

全身に関節リウマチというのは影響を出します。

たとえば倦怠感という面倒なものがあります。

単なる疲労とかではなく、ぐうたらなわけでもなく、

朝起き上がれなかったり、すぐに疲れたりします。

いろいろな便利グッズを探したりして、

症状の出がちな関節に優しく暮らせるようにと

小さな工夫を積み重ねています。

 

実は、この関節リウマチのことも、

先に挙げたレビー小体病や

ギランバレー症候群のことも

よく知らないままにずっと過ごしていました。

何も起きなければ、知らないままでも大丈夫です。

でも、なんだか変なんだよね、と思いつつも

それをどうしてかわからないまま生活しているとしたら、

知ることで対策もできるようになるかもしれないわけです。

 

少し大げさではありますが、

今生で私ができそうなことというと、

父が私に子供のことから練習させた

文章を書くということしかないと思いました。

作家でも記者でもなんでもないですが、

せっかく始めたこのブログですから継続します。

誰でも何か発信できる今のこのシステムで、

できそうだと思えることが見つかったのは嬉しいことです。

 

ちょっとした夢。

自分でも何かで誰かの役に立てること。

自分の経験したことを発信することで、

それが意味のある情報になるかもしれないという期待。

だから、毎日とはいかなくても

またペースをあげて書いていきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

食事は大切だと思う

わざわざ大げさに言うことではないのですが、

自分がどんなものを食べるのかというのは

身体の健康にとって重要だと思うのです。

 

リウマチ発症以前は、

ほぼ毎日問題なく食事を作っていました。

もちろん、時々は外に買いに行ったり

または食べに行ったりしていましたが、

それでも自分が体調不良で作れないということは

あまりなかったのでした。

 

私が食事を作れない理由は、

身体に痛みがあるか、とても倦怠感が強いか、です。

関節リウマチのの人には、

「それあるよね」と思ってもらえると思います。

 

それで簡単なものとして低リノール酸食を意識しました。

自分が使う食用オイルや、

お弁当やお惣菜を買う時に意識するというもので、

こちらはあまり大変なことないので実行しやすいです。

その影響は多分ゆっくりと出てくるので、

なかなか明確にはなりませんが、

緩やかに血液検査の炎症などの数値が下がっているのは、

もしかしたらこのお陰かもしれません。

 

そして、ずっと気になり続けている薬膳や

中医(漢方)的食事へのアプローチがあります。

こちらは少し勉強をしないといけないのですが、

なかなか本は手に取れても続けられていません。

ただ数年前からずっと気になっていることであり、

多分とても大事なことだろうと感じています。

 

食品添加物への注意、

地産地消を少し意識して買い物をする、

できるだけ調味料にも気を配る、

このあたりは小さいことですが継続しています。

 

最近、スパイスと塩のブレンドのみのカレーの素を見つけました。

鶏肉と玉ねぎとトマト缶と牛乳という表示通りの材料で

インド風のカレーを作ってみました。

調理時間も煮込まないので早めに仕上がりました。

そして、シンプルな材料で体に負担の少なそうな

美味しいカレーが出来上がりました。

以前レシピ本を見ながらインド風カレーを作った時も

簡単においしくできると驚いたのですが、

本を見て作る元気があまりでなくて忘れていました。

 

スパイスというと漢方薬と通じるものもあるといいます。

おそらく健康的な食事へつながるのではないかと思います。

なんとか今よりも健康的に過ごしたい、というのは

切実な願いなのです。

心身共に、食事から養生できるものはあると思うので、

そう思うのであれば、なんとか頑張りたいものです。

 

頑張れば体調も回復していくのか、

頑張り過ぎてまた振り出しに戻ってしまうのか、

そんな不安は常に付きまといますが、

どこかによい折り合えるところを見つけたいです。

 

 

 

現実を知るのは怖いのかもしれない

5月も半分以上が過ぎてしまいました。

またたく間に時間が飛んでいくような気分です。

今年は私にとっては特にそうなのでしょう。

今日は昨年の今頃も大変だったな、と思い出しました。

義兄の入院と父の入院と、義母のことで

文字通りの東奔西走でした。

 

先月、病院へ行くということになった母の件。

その後華麗なまでに覆されて、宙ぶらりんです。

そのことを話したら、私の精神科の先生は

よくあることだと言っていました。

これを何度も繰り返すか、

はたまたあと一回で終わるかはわからないけれど、

あまり期待過剰で臨まないようにと言われました。

また嫌だと言われるかもね~、という感じですね。

 

逆の立場で考えれば、

もし自分の脳の状態がよくないとわかったらどうしよう、

とすごく不安な面もあるだろうと思います。

私の性格上、気になるといても立ってもいられないので、

すぐに病院に行くという選択をしますが、

母の場合はぎりぎりまで見ないふりをします。

実際、小さいころに私のことでそれがあって、

皮膚科に長く通う羽目になりましたし、

愛犬のしっぽの腫瘍への処置が遅れたのも、

母が見て見ぬふりをしたからでした。

真実を知るのが怖いから、逃げるという癖があります。

愛犬の最後の血液検査の結果を知らせる電話も、

絶対に受けたくない逃げてしまって、

私がその電話に出たことがあります。

父のことからは逃げなかったので、

そこはすごく頑張ったのだと思います。

 

そんな母なので、今は散々先延ばしにした白内障の手術を

今か今かと心待ちにしています。

見えにくさが更に進んでしまい、困っているようです。

これももう何度促しても、先生に言われても、

なんだかんだと理由をつけては嫌がった結果で、

同情の余地なし、という感じです。

 

お盆が終わるころまで待ってみようと思います。

それで、母のコンディションが改善していくならば

さしあたっての心配は消えていくと思えばよいでしょう。

待ってもあまり変化なければ、再度受診を促します。

 

こんな年頃の親を持つ人は、

結構同じような経験をしています、と先生に言われて、

認知症の現実を回避したい人と、

どうにか早く治療して進行を押さえたい人が

世の中にはたくさんいるのだと思いました。

そして、なんだかんだで精神科にかかっている人も。

ちなみに、今回の母とのごたごたしたやりとりで

私はかなり体調に影響が出たのですが

それも先生によるとふつうのことです、と。

むしろ、これまでの私の体調不良の原因の方が

あまりよくあるケースではなかったとか。

どうやら私もやっと普通のことで悩むようになったらしいです。

 

 

 

お弁当の思い出

今週のお題「お弁当」です。

中学、高校とお弁当でした。

母が作ってくれました。

6年間、毎日のお弁当。

自分が結婚した今、

毎朝お弁当を作るということが

どれだけ大変なことだっただろうと思います。

子供がいないので、お弁当を作るのはマレです。

だから、今毎日お弁当を作っている皆さんには、

もう本当に尊敬しかありません。

 

こんな私のお弁当の思い出。

父と母方の祖母のものになります。

基本給食だった小学生のときです。

母が入院していた時期があり、

祖母が応援に来てくれていました。

その時に遠足があったのです。

お弁当が必要な年に何回もない日でした。

祖母が作ってくれようとしたと思います。

でも、父が父親としては頑張りたかったようでした。

どんなお弁当がいいか、と聞かれたので、

おにぎりが入っていて、焼いたソーセージがいい、と

リクエストしました。

 

その日の朝、父と祖母が台所にいました。

お腹を壊したらイケナイ、と父がよく焼いたソーセージ。

祖母が焼き過ぎだと心配していました。

お昼にふたを開けると、ざっくりと貫通した切り込みがある

焦げぎみのソーセージが数本入っていました。

朝のやりとりを思い出すと納得の姿。

そして、ふしぎな形のおにぎりがありました。

母は俵型のおにぎりを作ります。

正確な形の描写を求められ、

丸いけれどまん丸でなく、

ちょっと横長のおにぎりと言ったと思います。

祖母がなんだか妙な顔をしていた朝の台所。

細長くて、海苔も巻けなくて短冊状に切った海苔が

その長い方向に沿うように

数枚貼り付けた感じになっていました。

 

あえてたとえると、折り紙のぼんぼりを連想しました。

今もそう思い出します。

折り紙を長方形になる方向に半分に折り、

その輪の方から半分ほどハサミを入れ、

それを開いてくるりと筒状に巻くとできるぼんぼり。

これ以上の描写はむりなので、

想像してもらえるとうれしいです。

 

心配性の父のたった一度のお弁当。

見た目はたしかにイマイチだったかもしれませんが、

祖母と一緒に詰めてくれたお弁当は

思い出すと笑ってしまうところもありますが、

今となっては大事な思い出です。

 

近況報告的に

なかなか更新が進みません。

私なりの気合をもって始めたブログだったのですが、

いろいろなことが絡まって

集中して文章に向き合う時間を持てません。

 

私自身も少し鬱々として過ごしています。

父のこと、調子がおかしくて困ったさんになった母のこと。

義兄の病気、ホームにいる義母。

まだ健康とはいえない夫と、同じく持病が騒がしい自分。

 

気になることが満載で、ゆったりとのんびりと

自分の時間をただ静かに味わうことはできていません。

 

最近気が付いたのは、自分も父の死の悲しみを

きちんと見つめられていないということです。

母を支える必要があって、

そちらがなかなかの精神的な負荷になっています。

しみじみと悲しみや喪失感を抱くことができていません。

これまで何度も身内や知人の死を経験しました。

その時と比べると父への悲しみがあまりにも薄いのです。

薄いというか、フタをしているようにどこか他所にあるのです。

父の亡くなった日は、帰宅した夫がおどろくほど瞼を腫らしていました。

泣けて泣けて、どうにもならなくて。

でも、その後はなんだかおかしいのです。

 

ようやくいろいろな手続きが終わってきました。

先日の年金事務所の届け出が母には重くて、

それが終わって気持ちが楽になったようです。

また、すごく久しぶりに九州に住む友人が来てくれて、

私もそこに合流して3人で数時間を楽しく過ごしました。

それがとてもよかったらしく、

その日を境に少し体調がよくなったといいます。

 

このまま母の体調も回復していくのかというと、

そこはまだわからないままです。

やっと母が記憶の問題について受診することを納得しました。

精神科や心療内科を受診するには抵抗があったようですが、

まずは脳神経内科外科に行く提案が効果がありました。

それは私の精神科の医師のアドバイスがあったからでした。

まずは脳の状態を検査してもらうのがいいでしょう、と。

そうであれば、父のかかっていた病院に行けばよいので、

母としても非常に気持ちが楽になったようです。

必要があればそこから紹介されて病院に行くこともあるでしょう。

全ての事情を知る先生に診てもらえるので、

その面からも安心です。

 

母自身、少し自分の状態に不安を覚えたようです。

なんだかんだと理由をつけては嫌がっていましたが、

ようやくどういう状態にあるのか知りたいと思ったようです。

つまり、何かがおかしいのかもしれないと

本人も少し不安になってきているようです。

単なる疲労だと言ってきたけれど、

本当にそうなのかという不安が出てきたようです。

 

ただ、最近会ったときの母の様子は少し改善していて、

少しふっくらとした顔になっていましたし、

表情も幾分和らいでいたと感じました。

記憶の維持についても、ほんの少し。

でも、心配な状態はまだ続いているので、

やはり来月の診察の予定は変えないつもりです。

私も同行して話をしてこないといけないと思っています。

何事もないとしても、その説明を直接聞きたいので。

 

関節リウマチのこと、レビー小体病のこと、

近しい人を亡くした家族のケアのこと。

いろいろと知りたいことが増えています。

レビー小体病については、

事後になり残念ですが分かったことがあります。

もしかしたら父の病気に早く気づけたのでは、と思うのです。

ですので、たったひとりの患者の話にはなりますが、

レビー小体病という

まだあまり知られていないかもしれない病気についても

ここに時々書いていきたいと思っています。

 

出来るだけブログも頑張って書きたいと思います。

とりあえず納骨を終えたら、

母も私もさらに落ち着くのではと思っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どう暮らしていればいいのだろう

関節リウマチと診断されてもうすぐ4年になります。

治療開始直後は痛くて何もしたくないくらいで、

それが落ち着いてからも、少し家事をすると痛くなったり、

あるいは腫れたり、倦怠感が出たりでした。

その状態は今もあまり変わっていません。

薬を増やすと楽になるのでしょうか。

でも、主治医は今の量でよいとの判断です。

免疫を弱めるような薬ですから、

私も増やしたくないという気分でいます。

 

これまでは体調第一で過ごしていました。

でも、それではなかなか片付かないことが多いです。

実際、家の中はあまりお見せできるような状態ではないです。

 

そんなことにも嫌気がさして、

いつまでも家事の量をセーブして暮らすことも、

そのためになんだか晴れ晴れとしない気分でいることも、

どうにか変えられないだろうかと思いました。

 

とりあえず、いろいろと再開してみました。

とはいえ、以前ほどはやはり動けません。

それでも、少しずつ増やしていけないだろうか、と

自分の現状を確かめようと思いました。

父を亡くした悲しみを忘れたいという気持ちも、

この少し無謀な行動の裏にあったかもしれません。

 

私の中に消えない自分の不甲斐なさがあります。

同じ病気で体調の優れない状態で仕事をしている人々がいること。

薬の単位も少ない方だと思うし、

そんな中で少しの家事でへこたれている自分。

誰かと比較することは害しかないのに、

ついついそんな風に考えては

役に立てない自分を恥ずかしいと思う部分もあるのです。

だから、試してみたかったのだと思います。

 

ものを持てるか、持ち上げられるか、

普通に調理作業ができるか、掃除できるか。

以前のように文具を使えるか、

などなどなどなど。

 

そして元気だったころとは比べ物にならなくても

今の自分なりに頑張った結果はというと、

手の痛さと表現できない手の気持ち悪さと、

そこから広がっているような倦怠感、

動き回ることから足裏の痛み、と

想像できるものが出揃いました。

もちろん、今の痛みは軽い程度です。

でもこれをしばらく続けていくと、

多分かなり困ったことになるだろうと思われます。

 

今こうしてPCで文章を書いていますが、

きっとこれもあとで指関節への衝撃として

痛みをもたらすと思います。

 

血液検査の数値としては、

炎症は随分と落ち着いてきています。

一時は薬を減らすかどうか、という話も出ました。

でも数値と実際の体感が必ずしも一致しないのです。

 

どこまでを良しとするか、

どの程度なら耐えられるのか、

どれくらいなら長い目でみて影響が出ないのか。

基準の置き方で判断も変わりそうです。

 

できない尽くしにしてしまわないように、

前向きな気持ちを持てるように、と

今年は少し積極的に暮らせる道を探したいです。

関節リウマチの寛解というのは、

多分かなり遠い目標なのでしょう。

とりあえず、自分が自分で満足できる強度の

家事や日常の様々な作業を継続できるように、

というのを目標にします。