リウマチとの暮らしのあれこれ

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野球にくぎ付け

ここ数日、毎晩テレビの前で野球を見ていました。

日本に勝ってほしいという気持ちが強いのはもちろんですが、

それぞれの国のチームの個性が感じられて、

そこもとても興味を持つことになりました。

 

みなさんがすでにあちこちで書かれているでしょうが、

チェコのチームがすごく印象的でした。

素敵だと思いました。

 

野球というものの繊細さを思いました。

ほんの少しの何かのバランスで、選手の調子が変わってしまったり、

パワーがさらに増していく感じを見ていました。

 

あの痛そうな膝へのデッドボールを巡るエピソード。

バッターの膝に162km/hのとんでもなく痛そうな一撃でした。

幸い試合後に病院で問題なしの診断を受けたとのことで、

チェコの選手にひどい怪我がなかったことに安堵しました。

とはいえ、やはり腫れて痛かったのは当然ですよね。

 

佐々木投手や山川1塁手との短くても濃いやりとり。

1塁に移動した後の、調子を確認するためだと思われる

「走れるよ、大丈夫」というかのようなダッシュ

自分のための様でもあり、

心配しているチームメイトや日本の選手のための様でもあり。

球場内に拍手が響いたことからも、応援に来ていた多くの人が

その様子に心を動かされたのは明らかでしょう。

スポーツの見せてくれる清々しい一面でした。

 

チェコの選手の姿は国を背負う悲壮感ではなくて、

むしろすごく楽しそうに見えました。

勝った方がもっと嬉しいでしょうけれども、

結果に関わらず「楽しいよ」と表現してくれたように思いました。

 

最近は、いろいろな国際大会で苦しそうな気配を感じることがあります。

絶対に金メダルを、とか負けられない、とか。

でも、本当はスポーツは楽しいもので、

「楽しい」の延長にメダルや表彰台があるのだろう、と思ったのです。

 

また理想論を書いてしまっているのかもしれません。

でも、少なくともチェコの皆さんはその楽しいスポーツを見せてくれました。

そう思うと、すごく素敵な試合を見たのだとしみじみ感じます。

 

日本の試合がすべて終わってから、

佐々木選手はチェコの選手が泊まるホテルを

両手にたくさんのお菓子とともに訪ねたのだそうです。

つい先ほどこの情報を見つけて、また優しい気持ちにさせてくれました。

 

今後も、日本を「勝って!」と応援すると思います。

でも、優勝だけを求めることはしたくないです。

できるだけ長く試合を見たいけれど、

誰もが気持ちよく試合をできるのが何よりなのだと思うのです。

 

連日の野球観戦でなんだか疲れも感じていますが、

また次の試合が始まったらくぎ付けになってしまうのでしょう。

自分はスポーツは縁がなかったけれど、

見るのはこれまでもこれからも変わらずに好きです。

 

小さな工夫

大したことではないとも思うのですが、

これを思いついたときに嬉しかったので投稿です。

今日は指の付け根あたりの関節が全部痛くて、湿布を貼りました。

ある時いろいろと湿布を手に取って考えていた時に、

少しハサミで切り込みを入れるとちょうど良いかも、と思いました。

伸縮性のある湿布をもらっているので、

切れ目を入れてから各指に密着させていくとよい感じになりました。

私の場合、利き手が右手なのでハサミを左手用で準備しています。

右手の具合がすごく悪かったり、こんな用事がある時に

左手用ハサミが活躍してくれます。

 

湿布を貼ったまま眠りたいとき、

暑い季節には向きませんが、手にカバーをして寝ています。

これなら締め付けないし、テープみたいにはがれる心配もないです。

包帯も寝ている間におかしなことになるので、使えないことが多いです。

 

些細なことではあるのですが、

このことを思いつくまで少し時間がかかって、

その間はあまり居心地よくなかったので投稿してみました。

同じようなことで困っている方がいたら、お試しください。

 


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かばんが好きなのですが

私の祖母がかばんが好きな人でした。

私も似たのか、なんなのか。

鞄売り場が好きで、なんとなく眺めに行ったりしています。

といっても、高価なものではなくて、軽くて使いやすいもの。

こんな条件すら祖母と似てきていて、変な気分ですね。

それとも、これは年齢とともにそうなっていくのでしょうか。

 

関節リウマチになってから困るのが、

手に荷物を持つのが苦手になったことです。

つまり、肩にかけられるものかリュックサックかの2択。

しかも、鞄そのものに重量があるのは除外です。

なんだかんだで荷物が多くて、重くなりがちなので。

 

面白いところでは、ヘルシーバックバッグというものに出会いました。

いろいろなサイズがあって、柄も豊富で楽しいです。

アウトレット商品を上手に見つければ、

かなりお買い得に入手も可能です。

ユニークな形ですが、中のポケットなども工夫してあって、

使いやすいと思っています。

背中を痛めた経験をもとに、各分野の専門家と一緒に作られた鞄です。

そういう意味では体への負担軽減を考えられたものだと言えそうです。

実際、正しい使い方で斜め掛けすると、楽に動ける感じがあります。

 

初めてこのかばんを見たのが書店でした。

東京の丸善で。

以来すごく気になり続けて、何度も見に行って、手に取りました。

少し高額だと思っていたある日、セール価格になっていました。

そんなラッキーな日に購入に至りました。

あえて明るめの色を選んでみたのですが、

しずく型のような形も手伝ってかわいい感じでした。

 

ヘルシーバックバッグは今もお気に入りなのですが、

今一番使っているのは無印良品のものです。

本や雑誌を買った後、ヘルシーバックバッグには入れにくいのです。

出来れば荷物の数を少なくしたいと思う私の事情です。

買い物の日に買ったものをあれこれと詰め込むなら

やはり普通の形の方が便利なのでしょうね。

無印良品の商品は価格的にも手が出しやすくて、

シンプルなデザインなのでよいと思います。

撥水タイプなので安心して使えるとも思います。

 

 

今日は品物の紹介をするつもりではなかったのですが、

なりゆきでこうなってしまいました。

 

 


 


 


 

 

 

 

 

リウマチの手に優しいまな板を見つけました

今日、久しぶりにリンゴを煮ています。

リンゴ数個を切って、皮をむいて、今は鍋の中です。

そして、手で包丁仕事をすると必ず親指の関節が痛みます。

いつものこと、とある程度受け入れています。

短時間の作業ならさほど悪化はしないでしょう。

 

そんな私の大事な相棒のひとつがまな板です。

以前は木のまな板を使っていました。

でもこのまな板の材質というのが重要で、

木の板に包丁が当たるとき、その振動が手に伝わるのです。

そして、その振動が何度も何度も来ると痛いのです。

「衝撃を和らげてくれるものはないのだろうか」と思っていた時、

今日紹介したいまな板がクラウドファンディングで出てきました。

もう期待しかない状態で応援購入しました。

そして、期待通りに私を少し助けてくれるものになりました。

現在は普通にいろいろなところで買えると思います。

私の住んでいるところでは、キッチン用品を専門に扱うところや、

東急ハンズのような大きなお店で見つけることが多いです。

 

素材は合成ゴム。

柔らかく包丁の刃を受け止めるまな板です。

食洗器と漂白剤に対応すると説明があります。

耐熱温度100度で、熱湯をかけることも可能です。

ただし、熱湯につけるのはだめだそうです。

 

ゴムのような素材の他のカッティングボードを試したこともありますが、

案外固いものが多くて私の希望とは違うもののことがありました。

 

こちらの商品は、くにゃくにゃと曲がります。

シンクの上に張り出すようにして置くには、

下に普通のかたいまな板やボードを置く必要があります。

しかし、その柔らかさゆえに優しく衝撃を受け止めて軽減するのです。

もちろん、多少の当たりは手に返ってきます。

でも、私にとってはかなりの軽減になりました。

 

湾曲するという特性をうまく使えば、

切ったものをそのまま鍋まで運んで入れる、なども可能でしょう。

私は手の調子から試せていませんので、あくまで想像です。

 

ニンジンのような色の濃い野菜は色移りしますので、

気になる場合は注意が必要になるでしょう。

 

普通サイズという感じのLサイズと、

小さなSサイズがあります。

ちょっとだけ必要な時、この小さい方も便利です。

Sサイズには縁が上がっている辺が2辺ありますが、

これも便利なことがあります。

水切り穴があるので、そこから豆腐やトマトの水気を切ったりできます。

 

あくまで、以上の記述は私の主観ではありますが、

気になる方はリンクから商品について詳しくご覧ください。

もし、同じような悩みのある方の役に立つ情報になれば、

とてもうれしく思います。

 

 

 


 


 

予測できる体調変化と出来ない変化

リウマチと暮らしている皆さんは、

きっと同じような思いをされていると思うのですが、

昨日元気でも今日はどうにもならないなぁ、ということがあります。

朝は調子よくても、夕方ごろにはパワーを失っていたり。

 

どこかに痛みがあるとき、しばしばエネルギーも枯れ気味です。

今日もそんな感じでした。

朝から指に痛みがあって、それでも買い物に行ったりは出来たのですが、

夕方になるころにはどんよりとしてきていました。

今日の夕食のメニューも決まっていましたが、

結局作る気力がどこぞへ失せてしまっていて、だめでした。

でも、これは「やっぱりね」と思える段階的な変化。

ある朝起きたら調子が悪い、というのは予定を狂わせます。

予測しにくいだけに手ごわいです。

 

こんなこと、本当にこの病気になってみて初めて知ることでした。

何度もこんな体調の揺らぎを経験して、

これもリウマチの症状のひとつなんだ、とやっと理解した感じです。

 

あるお医者さんの本にありましたが、調子の悪い日には

「そういう日なんだ」と休むことを受け入れるのだそうです。

このお医者さんおおじいさまの話の中で出てきたのでした。

今とは治療も違う時代ですから、大変だったと思うのですが、

おじいさまはすごく穏やかに病気と一緒に生きたように思いました。

もちろん、その境地に達するまでには葛藤もあったはずですが。

私はまだまだ受け入れられないというか、抗いたくなってしまいます。

でも、結局あまり意地を張っても後々に影響するだけだったりして、

よい結果は招いていない気がします。

いつ本当の意味で「こういうものだ」と受け入れらえるのか。

 

理想はリウマチの寛解ですが、

そこに至るまでの日々は、できれば気持ちを穏やかに過ごしたいものです。

とりあえず、自分の家族には体調不良を伝えることが

素直にできるようになるのが今の目標ですね。

ついつい「ここをちょっと頑張れば」と思ってしまう罠にはまっています。

 

 

なかなか体調維持の大変な時期ですね

春に向けて、いつものことですが気温の変化が激しいです。

冷えたと思ったら、またあたたかくなったり。

あたたかいのは過ごしやすくてうれしいのですが。

 

気温の上下が激しいから気を付けて、と

リウマチの先生にも心療内科の先生にも言われています。

体調不良の人が多いのでしょうか。

 

私の体調は、リウマチについてはそれほどひどくもなく、

ただ精神的な方で久しぶりに体調を悪くしています。

心配や不安を自分で反芻したり増幅する傾向があるので、

そのためだというのはわかっているのですが、

今回はなんだかうまくその癖をコントロールできていません。

 

普通なら、あまり深く心配しないようなことなのですが、

運転中に短期間に続けて怖い思いをしまして、

それがまた起きたらどうしよう、と不安になっているわけです。

車なしの暮らしは厳しい環境に住んでいるので、

またすぐにハンドルを握る日が来ます。

 

自分のミスもあったし、相手の信号無視とか予期せぬ動きとか、

なんともできない感じのこともありました。

どれも事故につながってはいないし、

そこまで落ち込んだり不安に駆られるような内容ではないです。

 

なのに、私はそれを考えて不安を煽ることをやめないのです。

次こそは、もっと深刻な事態が発生するかもしれない、と。

まだ起きてもいないことを。

そして、これまでも起きてこなかったことを。

これまでどおりに用心して運転すればいいだけなのに、

どうして今回は囚われてしまっているのか分かりません。

 

これまで無事故だったし、慢心もしていないつもりです。

少し過剰なくらい、今は用心して運転しています。

世の中の煽り運転をするような人たちの鋼のメンタルが

少しだけうらやましいと思ってしまいます。

 

と、今日は泣き言になってしまいました。

多分、この不安定な気候の影響もあるのでしょう。

小さな心配事が重なってちょっと重たくなっているのかな、と

不必要な心の荷物を下ろすべく、努力をしようと思います。

 

 

 

 

 

食事の量は用心が必要なのでした

いつも同じようなテーマになるので、

今週のお題」にはできるだけ参加しようと思います。

そんなわけで今回も書けそうなので

私がとらわれていた「しなきゃ」

 

についてです。

 

*****

生きていればいろいろな囚われを抱えると思います。

必要ないはずなのに勝手に重大視していたり、

子供のころから繰り返し言われたために染み込んでいたり。

ちゃんとしなきゃ、なんていうのは典型かもしれません。

いろいろな場面で出てきそうですらあります。

 

今回書きたいのは、そんなシリアスなことではありません。

結婚して間もない時期の、もしかしたらありがちなお話です。

 

私にとって、食事をきちんと作ることは大切なことでした。

母親の影響もあるのでしょうが、

出来るだけ体によいご飯を作って、健康でありたいと思っていました。

そして、もうひとつ。

夫がお腹一杯になる十分な量を提供しなければ、と思っていました。

一体どれくらい食べる人なのか。

自分一人のご飯の量しか把握していない当初、

いつも「足りてる?」と心配していました。

 

一方、夫は「出されたものは残してはいけない」という考えでした。

いつもいつも完食だったわけです。

食卓の真ん中に置いたおかずもきれいになくなりました。

まだ若かったので、ご飯のおかわりをすることも多かったのです。

 

私は心配性でもあるので、足りてないのかな、と考えてしまいます。

ちゃんと満足できるだけの夕食を出さなきゃいけないのに、と。

 

そんな日々が数か月。

どんどん夫は太っていきました。

そして、初めてお互いの考えを知ることになったのです。

夫は残してはいけないと思い、

はたまた私は残らないから足りていないのかも、と思う。

その変な悪循環が体重の増加を招いていたわけです。

 

今、もう中年という年齢です。

生活習慣病も現実的な心配として存在しています。

「そんなにいらないよ」という言葉を定期的に出されつつ、

時々の作り過ぎは相変わらずなのですが、

ほどほどのところに落ち着いているとは思います。

 

結婚すると特に男性は太りがちという話がありますが、

それは私たちのようなことがあるのではないか、と思います。

 

振り返ると、母方の祖母も母もいつも足りないことを心配していました。

お客さんが来る時、いつも母は作り過ぎるほど用意していましたし、

普段でも煮物やカレーがその日かぎりでなくなることはありませんでした。

 

そして、同じことを私もしてしまっています。

そうはいっても、もうそれは囚われのような「しなきゃ」ではありません。

明日も少しだけ夕食を楽にしたい、とか

昼ごはんの分をついでに用意してしまおう、とか

そんなある意味計画的な作り過ぎだったりします。

 

最近は、疲労感から作れない日もあるので、

豚汁のようなものはあえて多く作ったりしています。

うどんとかおもちとか、合わせるものを変えると案外雰囲気も変わります。

結局最後はリウマチ的な話になってしまいましたが、

以上、私の小さな「しなきゃ」の話でした。

 

 

 

 

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