リウマチとの暮らしのあれこれ

関節リウマチのこと、日々のいろいろ。アフィリエイト広告利用中です。

大変だったことと喜ばしいこと

2週間、よくわからない力をもとに頑張ってきました。

そして自分の家に戻って約10日。

疲れもやっとなくなりはじめて、

洗濯物の山も部屋干ししながらも小さくなりました。

 

ほっとしたいところなのですが、

リウマチ君が自己アピールを続けています。

これまでそこまで痛くなったことのない両手の指の付け根の関節全部が、

朝はこわばっているしその後もほぼずっと鈍く痛みます。

痛みがあるということは、倦怠感も一緒にあるので動きが悪いです。

元気よくいろいろな家事用事を終わらせたいところですが、

なかなか思うように活動できません。

 

要するに、無理をしました。

たった2週間とはいえ、これまでの用心をやめてしまったし、

やはり便利に使える道具がいつもほど手元になくて、

さらに畳生活をしたりしていたので、

あちこちに負担がかかっていたようです。

小さな椅子も持って行っていましたが、

やはり応急的という感じはありました。

自宅でのベッドと椅子の生活は関節には優しいようです。

 

道が細くて運転をためらうような場所に家があって、

もともと運転にそこまで自信がないので、

義母の軽自動車を借りる勇気もありませんでした。

買い物に行くには徒歩で片道20~30分。

近くで足りる時なら片道10分。

 

運悪く、夫が現地で発熱しました。

最終的に花粉症ということになったのですが、

それが分かるまでは数日かかってしまったので、

その間は疲れとストレスによる発熱ではないかという扱いでした。

花粉症の症状もいろいろあるみたいですね。

夫はのどに影響が大きかったのです。

のどの痛みと咳、そして熱でした。

 

夫の発熱後は歩いて買い物をしてきたり、

夫の通院に同行して、近くで買い物をしてきたりしました。

多少は夫も無理してくれた部分もあり、

実際に徒歩のみになったのは2~3日でした。

 

そんな生活はなかなか大変だったなぁ、と思うわけですが、

今日は久しぶりの整体に行ってうれしいことを言われました。

身体の見た目がかなり違う、と。

体重は約3キロ減りましたが、単に脂肪が3キロ減ったのではないそうです。

脂肪も減ったけれど、そのあとに脂肪よりも重い筋肉が増えているはずで、

つまりはもっと体にはよい変化を起こしているはずだ、と。

 

頑張っただけのご褒美をもらっていたのでした。

 

 

帰宅後、いろいろと片付けることがありましたが

久しぶりに投稿します。

3月もあと1週間を残すころ、夫に電話が入りました。

夫の兄が急に入院したという知らせでした。

状況が分からぬままに、深刻な響きのその電話を受け、

とりあえず現地へ急ぎました。

まるで危篤なのかというような電話だったのですが、

担当医の説明を受けるとそうでもなくて、安心しました。

とはいえ、深刻な状態であることは違いなく、

義兄の入院は現在も続いています。

回復には向かっているのでそういう意味では安心なのですが、

義兄と同居していた義母の状態が心配なのもあり、

夫ともに約2週間現地に留まりました。

 

義母の状態も少し落ち着いて来たところで、

夫の仕事のこともありますし

私の薬と通院の問題もあったので帰宅したのですが、

今後も時々様子を見るために行くことになりそうです。

義母が元気になってくれれば安心なのですが、

息子の突然の病気に不安が強くて、それは無理もないことと思います。

 

約2週間、いろいろと二人で考えて、

義母の担当医のアドバイスを参考にして

義母の心の安定と安心を得られるように試みてきました。

幸い少し改善した部分もあるので、

アプローチとしては正しかったのだろうと思います。

今後もできるサポートを続けていこうと思います。

 

2週間の不在中、いろいろとたまった用事もあったり、

たまった洗濯ものを片付けないといけなかったりでした。

なんとか気合と緊張感で乗り切った2週間だったので、

時間差で疲れと手指の痛みが出てきました。

なかなか痛みが引かないので、やはり無理をしたようです。

次に行くときは、使い慣れたリウマチ対策の道具を持って行きます。

 

ということで、近況の報告を書かせてもらいました。

生活環境・状況が以前のように戻るまでは書けない日が増えそうですが、

続けていきますのでよろしくお願いします。

 

 

 

やはり今日は野球のことを

大変な見ごたえのある野球の試合が、

今日のメキシコとの準決勝の試合でした。

幸い時差の影響もそれほど邪魔にはならず、

午前中の放送という感じでしたね。

 

私があまりにも力を入れると、

応援している国が負けがちという印象があって、

実は少しいい加減によそ見をしながらの気分で見ていました。

こんなところでテレビ観戦のおばさんの一人の力が

現実にそんな影響力を及ぼすわけはないのですが、

なんとなくのめりこみ過ぎないように見ていました。

 

点を取られたり、取り返したり。

きわどいプレーに「チャレンジ」で判定を覆したり。

ビデオ判定の制度がいろいろなスポーツに導入されて、

微妙な判定を検証しなおせるのはよかったと思います。

 

大谷選手の気迫、打撃力、快走。

きっとみんなが驚いた周東選手の足の速さ。

吉田選手のホームランも、フォアボールを選び抜く選手たちの目も。

どれもどれもすごくて感動的でした。

厳しい球を投げ続ける投手陣も。

個人的に好きな山田・山川両選手の貢献も。

ずっと苦しんでいた村上選手の最終打席にも。

 

でも、素敵なゲームの相手のプレーも光るものがたくさんでした。

本当は、ちょっとだけ日本の負けを予感した瞬間がありました。

メキシコ、強すぎるよ、と。

点を取り返したと思っても、また一歩先に行かれてしまって。

アロザレーナ選手、レフトの固い守りの人。

何度長打を出しても、ホームランかもしれなかったボールも、

そのグローブに納めてしまう人でした。

 

ずっと付きまとっていた私の心配も、

最後の大きな打球と快走でのサヨナラ勝に吹き飛ばされて消えました。

チームの絆も、個々人の才能も、全部がまとまって開花したのが

今日の試合だったのではないかと思ったりしています。

 

最強といくら言われても、

本当に試合に勝ってみないことにはわからないのが野球、と思います。

これまでだって、日本もそうですがアメリカなども苦戦する大会がありました。

だから、今度こそ決勝に進むことができて、すごくほっとしています。

思っていた以上に、自分が野球にのめりこんでいることにも気が付きました。

 

いよいよ明日が決勝の日。

ここまで来たんだから、と優勝を願ってしまいます。

明日もちょっとだけ斜めに構えながら、応援を送りたいと思います。

 

 

それぞれのリウマチ

いろいろな方のブログやツイートを見せてもらっています。

リウマチ歴も症状も、使っている薬も、本当にみなさんそれぞれ。

 

悩まされている症状は痛みと倦怠感が多いという印象で、

私の状態と似ているなぁ、と思います。

 

そして「お年寄りの病気」とか

「加齢のせいでしょ」というような

実態にあっていない言葉に、

悲しい思いをしていることがよくわかります。

 

すごく腫れたりしていない限りは、

見た感じではわかりにくいと思います。

自己免疫の問題で、関節が最終的には破壊されて変形されるもの。

ただし最近は薬の開発のお陰もあって、

関節の破壊を防げることも多くなっているようです。

 

私の場合、関節リウマチという病名に対して、

変形するんだよね、というコメントが出たことがありました。

私としては、言葉を失ったという気分でした。

 

正直言って、痛みは今現在の辛い症状ですが、

私にとっては関節が変形していくことも不安なことです。

手術の可能性とかも医師からは聞いています。

あまり病気らしい病気をしてこなかったので、

入院という経験がありません。

そんなことからも、余計に避けられるなら避けたいと思ってしまいます。

 

みなさんそれぞれにそれぞれの症状と向き合って、

少しでも元気に過ごしたくて頑張っていると思います。

なかには本当にうまく治療が進んでスポーツを楽しめる人もいます。

そんな成功体験は、希望の光のようなものです。

自分もそうなれるといいな、なろう!と。

 

でも、本当に付き合いにくい病気です。

元気がない日は本当に驚くほど元気な日と差があります。

繰り返しますが、痛みは重いときはとても辛いですし、

倦怠感というのはなんとも表現しにくいものがあります。

だからこそ、周囲の理解を求めにくくて悩む人もいるのかもしれません。

 

私はこのブログをリウマチに関するブログとして始めましたが、

できれば多くの人の目に触れて、

この病気のことを知ってもらえるように努力したいと思います。

 

 

 

 

 

 

列挙したら大変なことに

母から電話があり、知人から頼み事でした。

西日本のある場所まで会いに来てくれないか、と。

その人の知人がドイツからやってくるので、相手をしてほしいのだ、と。

正直言うと、健康状態がどうであれお受けしがたいものでした。

 

以前ここに少し書きましたが、ドイツに留学したことがあります。

母もドイツ語を習ったので、日常的な会話は今でも可能です。

 

母も同じ内容で依頼されたらしいのですが、

父の体調不良でもう3年ほど老々介護の毎日なので、

家を離れるわけにはいかない状況です、とお断りすると、

私にも可能かどうか尋ねてほしいとのことでした。

母も「娘も健康体ではないので無理です」と言ったらしいのですが、

どうやらその方はダメもとで、と食い下がったらしいです。

 

そこで私は母にこう答えました。

 

健康体ではない、とかふんわり言わないで、

隠す必要はないから関節リウマチのため無理だと言ってほしい。

実際、できなくなったことを列挙してくれていい。

(宿泊が必要な距離の移動をともなう頼み事だったので)

重いかばんを持って移動できないし、

車で日常の買い物に行っても、それだけで疲れる日もある。

だから、鉄道での長距離移動は無理。

だるくて動けなくなる日もあるし、

関節が痛んで困る日もある。

だから、そんな遠くに宿泊前提では行かれない。

日々、明日の体調がよいか悪いかもわからないから、無理。

 

こんな風に並べてしまったところ、

母が今度は深刻になってしまいました。

「そんなに悪いの?」と。

 

毎日これが全部押し寄せるわけではないので、

そのことも伝えたわけですが、

考えてみるとこれまではもう少し小出しに伝えていました。

母も介護で疲れているので、あまり覚えていないみたいで、

まとめて「できないこと集」を言われてしまって、驚いたようでした。

 

失敗したよ、と帰宅した夫に顛末を話すと、

どれもその通りだけれど、それだけをまとめて聞くと大変そうになる、と

心配そうな表情になってしまったのでした。

 

伝え方は難しいです。

ついつい母がすぐに隠したがるので強めに言ってしまいました。

今後はもう少し冷静にと思います。

 

改めて思うのですが、

関節リウマチはそんなに優しくて控えめな病気ではないですね。

あとどれくらい寛解への道が続くのか。

薬を飲まないで生活できるようになるのが待ち遠しいのです。

 

 

 

 

 

 

数学は悩みの種でしたが、すごいものでした。

今週のお題今だから話せること

 

ということで、高校の先生への懺悔です。

 

数学がとてつもなく苦手な生徒でした。

苦手が積み重なって、数学はわからないものになっていました。

数字と記号とアルファベットの怪物でした。

 

毎日が睡眠不足の高校時代。

(学区で一番遠い学校を選んだのは、明らかに失敗です)。

柔らかい穏やかな声質の数学の先生が話し始めると、

それはもう即効性の子守歌でした。

 

何に役立つのか分からない数学。

読んでもそこに意味の見当たらない数学(私の主観です)。

古文や漢文ならそこに分かりやすい意味が見えるのに、です。

 

今だからわかるのです。

数学は将来の職種によってはすごく必要だと。

計算がもたらす恩恵はすばらしい、と。

 

そんな世界に生きている夫と最近話していて知ったのですが、

数学ほど積み重ねの科目はないよ、ということなのです。

私は高校受験の数学はクリアできましたが、

そこですでに積み損ねたものがあったのでしょう。

どんなに自分で頑張っても、その後の数学の山は険しすぎました。

こてこての数学を嫌うタイプの文系人間になりました。

 

今だから言いたいです。

数学の先生、ごめんなさい、と。

「ごめんね、どこがわからないのかわからなくて」と

謝ってくれた先生すらいました。

私も、もうどこがわからないのか説明もできませんでした。

「うさとらはよく寝ますね~」と言われたよ、と

社会の先生だった担任に呆れられたこともありました。

 

覚えなさいと言われた公式の、

その大元の成り立ちとか意味を知りたいと思っていました。

それが分からないから、公式がただの呪文になってしまっていると。

私の一番最初のつまずきは、公式の根源を求めたことでしょう。

そんなのは大学の先生がやるような数学の世界の話だ、と

これも随分あとに人から教えられました。

高校数学で扱えるものではない、と。

 

私に謝ってくれた数学の先生は言っていました。

なんで数学の先生になってしまったんだろう、と。

数学が好きで数学の先生になってみたら、

数学は嫌われがちな科目だったのだ、と。

 

数学に限らず、多分その科目が好きな人にはわからない

「ひっかかりポイント」があるのだと思います。

先生にそこを伝えることができないのがもどかしいですね。

いろんな科目に、そんな悪魔のような奴が隠れているのでしょう。

 

今でも数字全般に拡大してしまった苦手意識があります。

数学の罠。数学のバカ!

心のどこかに「今からやり直したら数学の問題が解けるかな」と

変なコンプレックスと絡まりあった執着があります。