リウマチとの暮らしのあれこれ

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食事の量は用心が必要なのでした

いつも同じようなテーマになるので、

今週のお題」にはできるだけ参加しようと思います。

そんなわけで今回も書けそうなので

私がとらわれていた「しなきゃ」

 

についてです。

 

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生きていればいろいろな囚われを抱えると思います。

必要ないはずなのに勝手に重大視していたり、

子供のころから繰り返し言われたために染み込んでいたり。

ちゃんとしなきゃ、なんていうのは典型かもしれません。

いろいろな場面で出てきそうですらあります。

 

今回書きたいのは、そんなシリアスなことではありません。

結婚して間もない時期の、もしかしたらありがちなお話です。

 

私にとって、食事をきちんと作ることは大切なことでした。

母親の影響もあるのでしょうが、

出来るだけ体によいご飯を作って、健康でありたいと思っていました。

そして、もうひとつ。

夫がお腹一杯になる十分な量を提供しなければ、と思っていました。

一体どれくらい食べる人なのか。

自分一人のご飯の量しか把握していない当初、

いつも「足りてる?」と心配していました。

 

一方、夫は「出されたものは残してはいけない」という考えでした。

いつもいつも完食だったわけです。

食卓の真ん中に置いたおかずもきれいになくなりました。

まだ若かったので、ご飯のおかわりをすることも多かったのです。

 

私は心配性でもあるので、足りてないのかな、と考えてしまいます。

ちゃんと満足できるだけの夕食を出さなきゃいけないのに、と。

 

そんな日々が数か月。

どんどん夫は太っていきました。

そして、初めてお互いの考えを知ることになったのです。

夫は残してはいけないと思い、

はたまた私は残らないから足りていないのかも、と思う。

その変な悪循環が体重の増加を招いていたわけです。

 

今、もう中年という年齢です。

生活習慣病も現実的な心配として存在しています。

「そんなにいらないよ」という言葉を定期的に出されつつ、

時々の作り過ぎは相変わらずなのですが、

ほどほどのところに落ち着いているとは思います。

 

結婚すると特に男性は太りがちという話がありますが、

それは私たちのようなことがあるのではないか、と思います。

 

振り返ると、母方の祖母も母もいつも足りないことを心配していました。

お客さんが来る時、いつも母は作り過ぎるほど用意していましたし、

普段でも煮物やカレーがその日かぎりでなくなることはありませんでした。

 

そして、同じことを私もしてしまっています。

そうはいっても、もうそれは囚われのような「しなきゃ」ではありません。

明日も少しだけ夕食を楽にしたい、とか

昼ごはんの分をついでに用意してしまおう、とか

そんなある意味計画的な作り過ぎだったりします。

 

最近は、疲労感から作れない日もあるので、

豚汁のようなものはあえて多く作ったりしています。

うどんとかおもちとか、合わせるものを変えると案外雰囲気も変わります。

結局最後はリウマチ的な話になってしまいましたが、

以上、私の小さな「しなきゃ」の話でした。

 

 

 

 

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