ということで、高校の先生への懺悔です。
数学がとてつもなく苦手な生徒でした。
苦手が積み重なって、数学はわからないものになっていました。
数字と記号とアルファベットの怪物でした。
毎日が睡眠不足の高校時代。
(学区で一番遠い学校を選んだのは、明らかに失敗です)。
柔らかい穏やかな声質の数学の先生が話し始めると、
それはもう即効性の子守歌でした。
何に役立つのか分からない数学。
読んでもそこに意味の見当たらない数学(私の主観です)。
古文や漢文ならそこに分かりやすい意味が見えるのに、です。
今だからわかるのです。
数学は将来の職種によってはすごく必要だと。
計算がもたらす恩恵はすばらしい、と。
そんな世界に生きている夫と最近話していて知ったのですが、
数学ほど積み重ねの科目はないよ、ということなのです。
私は高校受験の数学はクリアできましたが、
そこですでに積み損ねたものがあったのでしょう。
どんなに自分で頑張っても、その後の数学の山は険しすぎました。
こてこての数学を嫌うタイプの文系人間になりました。
今だから言いたいです。
数学の先生、ごめんなさい、と。
「ごめんね、どこがわからないのかわからなくて」と
謝ってくれた先生すらいました。
私も、もうどこがわからないのか説明もできませんでした。
「うさとらはよく寝ますね~」と言われたよ、と
社会の先生だった担任に呆れられたこともありました。
覚えなさいと言われた公式の、
その大元の成り立ちとか意味を知りたいと思っていました。
それが分からないから、公式がただの呪文になってしまっていると。
私の一番最初のつまずきは、公式の根源を求めたことでしょう。
そんなのは大学の先生がやるような数学の世界の話だ、と
これも随分あとに人から教えられました。
高校数学で扱えるものではない、と。
私に謝ってくれた数学の先生は言っていました。
なんで数学の先生になってしまったんだろう、と。
数学が好きで数学の先生になってみたら、
数学は嫌われがちな科目だったのだ、と。
数学に限らず、多分その科目が好きな人にはわからない
「ひっかかりポイント」があるのだと思います。
先生にそこを伝えることができないのがもどかしいですね。
いろんな科目に、そんな悪魔のような奴が隠れているのでしょう。
今でも数字全般に拡大してしまった苦手意識があります。
数学の罠。数学のバカ!
心のどこかに「今からやり直したら数学の問題が解けるかな」と
変なコンプレックスと絡まりあった執着があります。