リウマチとの暮らしのあれこれ

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数学は悩みの種でしたが、すごいものでした。

今週のお題今だから話せること

 

ということで、高校の先生への懺悔です。

 

数学がとてつもなく苦手な生徒でした。

苦手が積み重なって、数学はわからないものになっていました。

数字と記号とアルファベットの怪物でした。

 

毎日が睡眠不足の高校時代。

(学区で一番遠い学校を選んだのは、明らかに失敗です)。

柔らかい穏やかな声質の数学の先生が話し始めると、

それはもう即効性の子守歌でした。

 

何に役立つのか分からない数学。

読んでもそこに意味の見当たらない数学(私の主観です)。

古文や漢文ならそこに分かりやすい意味が見えるのに、です。

 

今だからわかるのです。

数学は将来の職種によってはすごく必要だと。

計算がもたらす恩恵はすばらしい、と。

 

そんな世界に生きている夫と最近話していて知ったのですが、

数学ほど積み重ねの科目はないよ、ということなのです。

私は高校受験の数学はクリアできましたが、

そこですでに積み損ねたものがあったのでしょう。

どんなに自分で頑張っても、その後の数学の山は険しすぎました。

こてこての数学を嫌うタイプの文系人間になりました。

 

今だから言いたいです。

数学の先生、ごめんなさい、と。

「ごめんね、どこがわからないのかわからなくて」と

謝ってくれた先生すらいました。

私も、もうどこがわからないのか説明もできませんでした。

「うさとらはよく寝ますね~」と言われたよ、と

社会の先生だった担任に呆れられたこともありました。

 

覚えなさいと言われた公式の、

その大元の成り立ちとか意味を知りたいと思っていました。

それが分からないから、公式がただの呪文になってしまっていると。

私の一番最初のつまずきは、公式の根源を求めたことでしょう。

そんなのは大学の先生がやるような数学の世界の話だ、と

これも随分あとに人から教えられました。

高校数学で扱えるものではない、と。

 

私に謝ってくれた数学の先生は言っていました。

なんで数学の先生になってしまったんだろう、と。

数学が好きで数学の先生になってみたら、

数学は嫌われがちな科目だったのだ、と。

 

数学に限らず、多分その科目が好きな人にはわからない

「ひっかかりポイント」があるのだと思います。

先生にそこを伝えることができないのがもどかしいですね。

いろんな科目に、そんな悪魔のような奴が隠れているのでしょう。

 

今でも数字全般に拡大してしまった苦手意識があります。

数学の罠。数学のバカ!

心のどこかに「今からやり直したら数学の問題が解けるかな」と

変なコンプレックスと絡まりあった執着があります。