リウマチとの暮らしのあれこれ

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リウマチの手に優しいまな板を見つけました

今日、久しぶりにリンゴを煮ています。

リンゴ数個を切って、皮をむいて、今は鍋の中です。

そして、手で包丁仕事をすると必ず親指の関節が痛みます。

いつものこと、とある程度受け入れています。

短時間の作業ならさほど悪化はしないでしょう。

 

そんな私の大事な相棒のひとつがまな板です。

以前は木のまな板を使っていました。

でもこのまな板の材質というのが重要で、

木の板に包丁が当たるとき、その振動が手に伝わるのです。

そして、その振動が何度も何度も来ると痛いのです。

「衝撃を和らげてくれるものはないのだろうか」と思っていた時、

今日紹介したいまな板がクラウドファンディングで出てきました。

もう期待しかない状態で応援購入しました。

そして、期待通りに私を少し助けてくれるものになりました。

現在は普通にいろいろなところで買えると思います。

私の住んでいるところでは、キッチン用品を専門に扱うところや、

東急ハンズのような大きなお店で見つけることが多いです。

 

素材は合成ゴム。

柔らかく包丁の刃を受け止めるまな板です。

食洗器と漂白剤に対応すると説明があります。

耐熱温度100度で、熱湯をかけることも可能です。

ただし、熱湯につけるのはだめだそうです。

 

ゴムのような素材の他のカッティングボードを試したこともありますが、

案外固いものが多くて私の希望とは違うもののことがありました。

 

こちらの商品は、くにゃくにゃと曲がります。

シンクの上に張り出すようにして置くには、

下に普通のかたいまな板やボードを置く必要があります。

しかし、その柔らかさゆえに優しく衝撃を受け止めて軽減するのです。

もちろん、多少の当たりは手に返ってきます。

でも、私にとってはかなりの軽減になりました。

 

湾曲するという特性をうまく使えば、

切ったものをそのまま鍋まで運んで入れる、なども可能でしょう。

私は手の調子から試せていませんので、あくまで想像です。

 

ニンジンのような色の濃い野菜は色移りしますので、

気になる場合は注意が必要になるでしょう。

 

普通サイズという感じのLサイズと、

小さなSサイズがあります。

ちょっとだけ必要な時、この小さい方も便利です。

Sサイズには縁が上がっている辺が2辺ありますが、

これも便利なことがあります。

水切り穴があるので、そこから豆腐やトマトの水気を切ったりできます。

 

あくまで、以上の記述は私の主観ではありますが、

気になる方はリンクから商品について詳しくご覧ください。

もし、同じような悩みのある方の役に立つ情報になれば、

とてもうれしく思います。

 

 

 


 


 

予測できる体調変化と出来ない変化

リウマチと暮らしている皆さんは、

きっと同じような思いをされていると思うのですが、

昨日元気でも今日はどうにもならないなぁ、ということがあります。

朝は調子よくても、夕方ごろにはパワーを失っていたり。

 

どこかに痛みがあるとき、しばしばエネルギーも枯れ気味です。

今日もそんな感じでした。

朝から指に痛みがあって、それでも買い物に行ったりは出来たのですが、

夕方になるころにはどんよりとしてきていました。

今日の夕食のメニューも決まっていましたが、

結局作る気力がどこぞへ失せてしまっていて、だめでした。

でも、これは「やっぱりね」と思える段階的な変化。

ある朝起きたら調子が悪い、というのは予定を狂わせます。

予測しにくいだけに手ごわいです。

 

こんなこと、本当にこの病気になってみて初めて知ることでした。

何度もこんな体調の揺らぎを経験して、

これもリウマチの症状のひとつなんだ、とやっと理解した感じです。

 

あるお医者さんの本にありましたが、調子の悪い日には

「そういう日なんだ」と休むことを受け入れるのだそうです。

このお医者さんおおじいさまの話の中で出てきたのでした。

今とは治療も違う時代ですから、大変だったと思うのですが、

おじいさまはすごく穏やかに病気と一緒に生きたように思いました。

もちろん、その境地に達するまでには葛藤もあったはずですが。

私はまだまだ受け入れられないというか、抗いたくなってしまいます。

でも、結局あまり意地を張っても後々に影響するだけだったりして、

よい結果は招いていない気がします。

いつ本当の意味で「こういうものだ」と受け入れらえるのか。

 

理想はリウマチの寛解ですが、

そこに至るまでの日々は、できれば気持ちを穏やかに過ごしたいものです。

とりあえず、自分の家族には体調不良を伝えることが

素直にできるようになるのが今の目標ですね。

ついつい「ここをちょっと頑張れば」と思ってしまう罠にはまっています。

 

 

なかなか体調維持の大変な時期ですね

春に向けて、いつものことですが気温の変化が激しいです。

冷えたと思ったら、またあたたかくなったり。

あたたかいのは過ごしやすくてうれしいのですが。

 

気温の上下が激しいから気を付けて、と

リウマチの先生にも心療内科の先生にも言われています。

体調不良の人が多いのでしょうか。

 

私の体調は、リウマチについてはそれほどひどくもなく、

ただ精神的な方で久しぶりに体調を悪くしています。

心配や不安を自分で反芻したり増幅する傾向があるので、

そのためだというのはわかっているのですが、

今回はなんだかうまくその癖をコントロールできていません。

 

普通なら、あまり深く心配しないようなことなのですが、

運転中に短期間に続けて怖い思いをしまして、

それがまた起きたらどうしよう、と不安になっているわけです。

車なしの暮らしは厳しい環境に住んでいるので、

またすぐにハンドルを握る日が来ます。

 

自分のミスもあったし、相手の信号無視とか予期せぬ動きとか、

なんともできない感じのこともありました。

どれも事故につながってはいないし、

そこまで落ち込んだり不安に駆られるような内容ではないです。

 

なのに、私はそれを考えて不安を煽ることをやめないのです。

次こそは、もっと深刻な事態が発生するかもしれない、と。

まだ起きてもいないことを。

そして、これまでも起きてこなかったことを。

これまでどおりに用心して運転すればいいだけなのに、

どうして今回は囚われてしまっているのか分かりません。

 

これまで無事故だったし、慢心もしていないつもりです。

少し過剰なくらい、今は用心して運転しています。

世の中の煽り運転をするような人たちの鋼のメンタルが

少しだけうらやましいと思ってしまいます。

 

と、今日は泣き言になってしまいました。

多分、この不安定な気候の影響もあるのでしょう。

小さな心配事が重なってちょっと重たくなっているのかな、と

不必要な心の荷物を下ろすべく、努力をしようと思います。

 

 

 

 

 

食事の量は用心が必要なのでした

いつも同じようなテーマになるので、

今週のお題」にはできるだけ参加しようと思います。

そんなわけで今回も書けそうなので

私がとらわれていた「しなきゃ」

 

についてです。

 

*****

生きていればいろいろな囚われを抱えると思います。

必要ないはずなのに勝手に重大視していたり、

子供のころから繰り返し言われたために染み込んでいたり。

ちゃんとしなきゃ、なんていうのは典型かもしれません。

いろいろな場面で出てきそうですらあります。

 

今回書きたいのは、そんなシリアスなことではありません。

結婚して間もない時期の、もしかしたらありがちなお話です。

 

私にとって、食事をきちんと作ることは大切なことでした。

母親の影響もあるのでしょうが、

出来るだけ体によいご飯を作って、健康でありたいと思っていました。

そして、もうひとつ。

夫がお腹一杯になる十分な量を提供しなければ、と思っていました。

一体どれくらい食べる人なのか。

自分一人のご飯の量しか把握していない当初、

いつも「足りてる?」と心配していました。

 

一方、夫は「出されたものは残してはいけない」という考えでした。

いつもいつも完食だったわけです。

食卓の真ん中に置いたおかずもきれいになくなりました。

まだ若かったので、ご飯のおかわりをすることも多かったのです。

 

私は心配性でもあるので、足りてないのかな、と考えてしまいます。

ちゃんと満足できるだけの夕食を出さなきゃいけないのに、と。

 

そんな日々が数か月。

どんどん夫は太っていきました。

そして、初めてお互いの考えを知ることになったのです。

夫は残してはいけないと思い、

はたまた私は残らないから足りていないのかも、と思う。

その変な悪循環が体重の増加を招いていたわけです。

 

今、もう中年という年齢です。

生活習慣病も現実的な心配として存在しています。

「そんなにいらないよ」という言葉を定期的に出されつつ、

時々の作り過ぎは相変わらずなのですが、

ほどほどのところに落ち着いているとは思います。

 

結婚すると特に男性は太りがちという話がありますが、

それは私たちのようなことがあるのではないか、と思います。

 

振り返ると、母方の祖母も母もいつも足りないことを心配していました。

お客さんが来る時、いつも母は作り過ぎるほど用意していましたし、

普段でも煮物やカレーがその日かぎりでなくなることはありませんでした。

 

そして、同じことを私もしてしまっています。

そうはいっても、もうそれは囚われのような「しなきゃ」ではありません。

明日も少しだけ夕食を楽にしたい、とか

昼ごはんの分をついでに用意してしまおう、とか

そんなある意味計画的な作り過ぎだったりします。

 

最近は、疲労感から作れない日もあるので、

豚汁のようなものはあえて多く作ったりしています。

うどんとかおもちとか、合わせるものを変えると案外雰囲気も変わります。

結局最後はリウマチ的な話になってしまいましたが、

以上、私の小さな「しなきゃ」の話でした。

 

 

 

 

*****

LIFULL STORIES
by LIFULL STORIES

痛みはすべてリウマチなのか?

この病気になって、一つ困ったことがあります。

関節が痛むとき、原因が何なのかを迷うのです。

すぐに病院に行って調べてもらうようなことが可能なら、

そして検査さえすればなんでもわかるなら簡単なのですが、

なかなかそうもいきません。

色々調べていると、炎症反応がわかる検査機械があるみたいですが、

私のお世話になっている先生のところにはなさそうです。

 

主に手指と手首、足首に私はリウマチの症状が出ていました。

その後、足の指にも違和感が出て診てもらったことがありました。

レントゲンをとれば、その関節の状態から判断ができるようです。

私の足の親指の関節については、外反母趾の特徴も出ていました。

でも、加齢による関節の変化の場合にある要素がなくて、

そういう意味でリウマチが原因なのではないか、ということでした。

 

リウマチの痛みは体のあちこちの関節に出るということです。

時々、ぶつけたとかの明確な理由がないのに肩が痛みます。

ずっと痛いわけではないので、気にしないようにしているわけですが、

やはりこれもリウマチか?と少し怖がっているところもあります。

 

手などは腱鞘炎の出やすい部位ではあるらしいですが、

リウマチ患者はさらに腱鞘炎にもなりやすい傾向があるとのことで、

そういう点からもあまり無理はしないようにと言われています。

 

そうはいっても、包丁で野菜の皮むきをしたくらいのことや、

お弁当のふたが開けにくくて頑張ったくらいでは

普通の手の指は痛くはなりませんよね。

こんな痛みの時は、リウマチ君が来たか、と思うのです。

 

寒いとき、気圧が大きく下がるとき、湿度が高いとき、と

よく先生に用心する季節を言われます。

自分がつらいので、もちろん用心はするのですが、

なんとも面倒な体になったものだ、と時々思ってしまいます。

うまく寛解を迎えることができるのか。

スポーツを再開できた患者さんも話も読んだりしていますし、

自分もそうなりたいものです。

 

関節リウマチという病気の知名度

関節リウマチの患者数は、日本では70万人ほどという話があります。

患者の総数については60万とも100万とも、

はたまた35万とも記述されていて、

その文献の出された時期や考え方で違いがあるのでしょうか。

 

この70万という数が多いのか少ないのか。

私自身も関節リウマチと診断されて、

いろいろと調べてどういうものなのかを知りました。

それまでは「痛いらしい」「治らないらしい」というくらいの情報しかなくて、

身近に患者さんがいないと知る機会も少ないのかも、と思っています。

友人知人を思い浮かべても、恩師に1人。

母と話をしていて、私が子供のころに近所にいた人が1人。

ごく最近、叔父と話していたら義叔母(つまり叔父の妻)が。

この3人しかいませんでした。

 

多分、多くの人がその詳しいところを知らないと思います。

知らないから、説明しないと理解してもらえない。

1回くらいの説明では説明しきれないし、覚えてももらえないと思います。

 

痛いらしい、という私のかつての知識。

確かに痛いです。でも、思っていたものとは違いました。

痛んだり、痛みが消えたり、またすぐ出たり、です。

少し関節に負担をかけると、すぐに痛みが出てきます。

実に厄介なやつ、という感じです。

 

筆記具で字を書くのも痛くて無理と想像するでしょうか。

お箸も使えないなんて想像できるでしょうか。

ハンドクリームのふたですら、ましてペットボトルのふたなんて、

すごく指に過酷な作業になる日があるのです。

本を手に持って読んでいるだけで、痛みが出るとか、

買い物袋を手に持つのがつらいとか、

パン屋さんのトングが指に負担だし、片手でトレーを持つのも大変、とか。

 

ここに自分で列挙しているだけで、

こんな小さい作業や動作がままならないことがあるのか、と

改めてその難敵ぶりに驚いてしまいます。

 

もし、職場や家庭ででそんなことを理解してもらえないとしたら、

それは大変な思いをすることになります。

小さいものの積み重ねであるからこそ、

日々の生活の中で辛いことがたくさんあるという感じなのです。

今、こうしてPCで文章を書いていますが、

体調によっては入力の動作やマウスを使うことも痛いです。

 

そして、私の抱えている痛みよりももっと強い痛みと付き合っている患者さんも

きっとたくさんいらっしゃるだろうと思います。

本当にそれぞれの患者さんで抱えている症状も違うと思うのです。

だからこそ、説明も難しいと言えるでしょう。

私のここに書いている情報は、あくまで私のケースです。

 

そして、痛いとかそういうことだけではなくて、

表現に難しいだるさが難敵です。

疲れやすかったり、朝飽きられなかったり、と種類もいろいろで。

怠けているのではないけれど、そう誤解されかねないと思います。

 

治らないらしい、ということについては今も同じとも言えますが、

寛解」という言葉を使い、症状が出ないで落ち着いた状態を

治療の目標地点をしているという意味では、少し感じが違います。

 

沢山のリウマチ仲間さんがいることを知りました。

そして、世の中には情報がまだ少ないとも感じました。

少しでも多くの人に患者の実際の生活を垣間見てもらいたいです。

そのために、少しずつでも書き続けていきたいと思います。

 

 

 

 

また行きたいところ

今週のお題「行きたい国・行った国」ということで、

書きやすそうなテーマだったので参加してみます。

 

ご縁があって、ドイツに留学していました。

もうずっと前の話です。

まだ通貨がユーロになっていない頃ですから、

今とはいろいろと違うだろうと思います。

 

ドイツというと、古い町並みがきれいでした。

そんな石畳があるような街が好きで、

「旧市街」が有名なところを好んで訪ねていました。

 

それぞれの地域で建築にも様式があったり、

当然ながら言葉も響きに変化があったりして、

その土地の気配を感じるのが楽しかったです。

 

今でも思い出すのはミュンヘンのビアマグの大きさですね。

私が滞在した場所には大きくても500mlのグラスでしたし、

普通に注文すると300mlほどのサイズだったと思います。

南のミュンヘンでは1000mlが当たり前の世界で、

片手で持つのも少し大変な感じでした。

 

そして、大きな都市でとても活気のある街という印象でした。

民族衣装のようなデザインの服を普段でも来ている人たちがいて、

なんとなく思ったのは、みんながバイエルンという文化を愛していることでした。

 

私が住んだ町ももちろん好きですが、

思い出すと楽しい印象が強いのはこの南の都市のミュンヘンです。

また機会があるのならば、ぜひ行きたい場所です。

大事な知人がその近くに住んでいることもあって、

何度か訪ねたのも大きいのでしょうが、

誰かが例えるなら日本の大阪みたいなところ、と言っていて、

親しみやすさがあるような気がしました。