リウマチとの暮らしのあれこれ

関節リウマチのこと、日々のいろいろ。アフィリエイト広告利用中です。

関節リウマチになっての気持ちの変化

リウマチだと明確になって4年目。

でも、いろいろな患者さんの言葉からして、

私のリウマチはその2年ほど前には始まっていた気がする。

足や膝に違和感があった。

外反母趾とかのトラブルだと思っていたり、

膝のことは不思議な現象だなぁ、と思っていたり。

まさかそれが病気で、

関節リウマチだとは思ってもいなかった。

 

そのころから、厚底のクッション性の高い靴しか履けず、

石畳の神社など、苦痛でしかない足事情だった。

点字ブロックも痛くて踏めなかった。

足裏も膝も不調。

もう遠出はできないな、長時間歩くのも無理だな、と

段々行動範囲が狭くなっていった。

車でできるだけ移動する、というプラン。

旅先では1日歩き回るのが定番だったが、

もはやそんなことをするなんて無理だった。

旅行しようという気分すら、消えかけていた。

その頃は、それでもまだ手には荷物を持てていた。

そう思うと、今よりはまだいろいろと軽症だったと思う。

 

そんなこんなでリウマチ患者としての生活。

できないことを把握しているつもりが、

時々うっかりミスをして痛めたり、

やむを得ず無理をして痛めたりする。

これしきの事!と思う悔しさもある。

こんなこともか、という悲しさもある。

今のこの痛みも、多分まだ軽い方だと思う。

それでも、毎日十分に困っている。

今後、今以上に症状が悪化することがあるのか、

それはいつも頭の片隅にある不安だ。

 

テレビを見ていても、ついつい思ってしまう。

これはもう無理だな、私にはできないな、と。

知らず知らずにそういう判断をいつもしている。

 

スポーツする人。

華麗な料理人の包丁さばき。

同じく、魚屋さんのそれ。

畑から里芋を収穫する農家のおじいさん。

スーツケースを引いて歩く人。

手に買い物袋を持つ人。

DIYを楽しむ人。

ガーデニングをする人。

などなどなど。

 

どれもどれも、「あぁ、無理だな」と思う。

「無理だな」が増えると、日々にあきらめること増える。

関節リウマチ患者に鬱になる人が多いという。

それもそうだろう、と思うこともある。

アクティブに暮らしていた人ならなおさらそうだろう。

 

でも、同時に思う。

「今は無理」というだけなんじゃないの?と。

そう自分に言い聞かせる。

発症後、治療開始が早いほどに寛解の率が上がるという話がある。

インターネットでいろいろ見ていても、

確かに半年以内に寛解した、という人が多い気はする。

あくまで印象の話だ。

それ以上の時間をかけても寛解した人がいないわけではないだろう。

自分は多分治療開始が遅すぎた方では、と思っているから、

どうやったら寛解を迎えられるかと手探りである。

だから低リノール酸食に魅力を感じた。

本当は薬もなしで寛解を望みたいが、

とりあえずは今よりも快適な日々を望む。

痛みも腫れもない、こわばりもない生活。

当たり前にそれを意識もしていなかったけれど、

その日々に戻りたいと思う。